こちらはお盆です(沖縄は旧盆なんですよ)。
今日はウンケーといって、ご先祖さまをお迎えする日です。
朝からお寺に行ってきました。
この時期はもうとにかく体が重いんですよね~。
実際に見えるわけじゃないんですけど、夢にでてきては、
色々言いたいことがある人たちがたくさんしゃべるので
目覚めが最悪。どうしようもいないってば、と今日も朝から怒ってました。とほほ。
しばらくすればよくなるので、季節病とおもってもうあきらめてます(苦笑)
受験を決めてから、気分的にすっきりして、具体的なやりかたや
今の自分の力の把握、情報を集めることをやっています。
それに伴って、今までの研究に対する姿勢に関しても改めて気合がはいって
病棟での患者さんへの接し方とか、カンファレンスでの取り組み方とか
自分が医師になるとはどういったことなのか、どのように先生方は取り組んでいるのかについて
しっかり勉強しようと思っています。そういった点では恵まれているよね、私。
正直、新しいチャレンジのときはワクワクするけれど、やり始めると自分の実力を
認識せざる得なくなって、将来が不安になります。
だってあともう少しで、この分野で博士号までいけるとか、
受かるという保障はどこにもないとか、そんなこと。
もう同級生は結婚もして、この前は幼馴染に男の子が生まれました。
その子の顔を見てたら、「あー、私はいつになったら赤ちゃん抱けるのかなあ」とか(苦笑)
けれどね、思うんですよ。
おそらく、きっと決めたのは今だったからだろうと。
実は東京から帰ってくる前ぐらいから、ずっと医学部編入を考えてたんです。
で、それから約2年が経ったわけですが。
あの時はまだ決断できなかったんですよね。
そんな自分を受け入れきれなかったし、そういった決断をするとプライベートが犠牲になって
ずっと一人なんじゃないのかなとか、ぶっちゃけそういった思いがありました。
学歴コンプレックスじゃないけれど、あんまり仕事をバリバリする女、
学歴が高い女って好かれないんだって思ってて。
ぶっちゃけ、そんな男の人と付き合ってたわけです(笑)
「本質(人を助けるような仕事につく)を貫けば、私はきっと愛を犠牲にしなければならず、
愛を取れば、きっと本質で望むことはできないんじゃないか」
そして、私はそのとき、どうしても愛を取りたかったわけですわ~。
今はね、もうそんな取引きをしなくてもいいんだ。
私が望むことをやっても、決して引き換えることなどないんだって。
そう心の底から信じられるようになったから、
湧き出てきた「自分本来の望み」のような気がします。
だからといって、医師になれるわけでも、そんな保障もどこにもないのですが、
でもね、これだけは確信を持って言える。
『本当に私にとってこの道が最適であれば、きっと私はそう在ることができるだろう』
風が吹く道であっても、恐れずにたてば、きっと必要な人、必要なものは、
ベストなタイミングをもって私の前に立つはずだから。
そう、それと同じ。
恐れずに自分の望みに忠実にあるものには、それだけで祝福があるようにおもうのです。
それがまさに祝福であるに違いないと。
どんな状態であれ、どんな職業に就くのであれ、きっと望みを無視せず、言い訳せず、
自分のあり方にうそをつかなければ。
納得するはずだから。結果がどうであっても。
だからハンディなんていってるものは、今の私に必要なもの。
今のタイミングで私に必要だから、この望みは。
ぐずぐずせず、始めていけばいい。その先にしか、道なんてないんだからさ。