人気ブログランキング | 話題のタグを見る

all world harmony


絶望体験の果てにあるもの

以前、語れる言葉を私は持つのだろうかという題で記事を書きました。
たくさんの方からいろんなコメントをいただき、ありがとうございました。

あのとき、私は赦すということをテーマに書きましたが
今日はちょっと違った視点から書こうと思います。
あの記事でふれた出来事は、私にとって
絶望以外のなにものでもありませんでした。
絶望というのは、本当にすべての感覚が停止するようなもので
生きるという希望が全く見えなくなります。
まず食べ物がのどを通らなくなり、起きているのか寝ているのかすら
よく分からない感覚。
今は何曜日で、何時で、ということはもちろん分かりませんでした。
そして、普通に生活を表だってできるようになった時ですら、
笑えるようになっても、自分が自分でないような感覚が私にはありました。
傷つけられたときも、傷つけたときも同じです。
本当に受け入れられるまでは、ずっとずっと苦しみがループのように
終わり無く続くのかと思いました。忘れていても、また湧き上がってくるもの。

色んな方とつながり、話をする機会を持つ中で
日々たくさんのことを学ばせてもらいます。
そして人それぞれ、やはり抱え、それでも歩いていく現実をみると
人間ってすごいなと思わずにはいられません。
先日いただいたメールのなかに、このような内容の話が載っていました。
転載します。
-------------------------------------------------------
黒柳徹子さんが南アフリカのコンゴにユニセフの国連大使として
訪問した映像でした。
その中で、「アダムとイヴの歌」を歌う女の子が出てきました。

彼女は兵士たちに自宅に押し入られ、父親を殺されます。
彼女は両目にナイフを突き立てられ、眼球をえぐりとられます。
そして、兵士たちにレイプされます。
父親が殺されたのは、兵士が父親に彼女を兵士の目の前で
犯すように命令をしたことを父親が拒んだからです。
拒んだ父親を目の前で殺され、それを目撃したその目を
えぐりとられ、犯される。ナイフが目に刺さるのが見えて、
記憶としてはっきり持っておられました。
救いようの無い現実を、本当の暗闇を彼女は、どう生き、
どう日々を過ごしたのでしょう。
黒柳さんがヘレンケラーの話をします。
「ヘレンも三重苦だったけど、素晴しい人になりました。
あなたも頑張って元気にね」。

彼女はとても優しい笑顔で微笑み、うなづいていました。
黒柳さんがさらに続けます。
「あなた、とても歌がお上手で素敵な声なんですって、
是非聞かせてくれない」
彼女は照れた笑いを浮かべながら、歌いはじめます。
クレジットが画面下に流れます。

「アダムとイヴの歌」彼女は、人間がそもそも罪を背負って
生まれてくる。アダムとイヴに、拒めば殺されることを、わかって
なお犯すことを拒んだ父親と、それを見なければならなかった自分に
アダムとイヴの二人を重ね合わせ、その苦悩と葛藤を歌にした。
とクレジットには書かれてありました。
----------------------------------------------------------------

涙が流れました。まるで自分の体験のように。
そして自分の体験以上に過酷な毎日を送っている少女のことを
思いました。今の世界にどこかであるかもしれない現実。
しかし、思いました。人はいかなる過酷の状況においても、
立ち上がり、愛を送ることができるのかもしれないと。
決して自分で自分をあきらめなければ、選択すれば。
そしてそこまでいたった彼女の痛み、
彼女の思いを祝福したいと思います。
そして彼女の痛みは私の痛みでもある。
どうか彼女が幸せで、この困難さえも乗り越えてあるいていくこと
切に願わずにはいられません。

私が事件にあったとき、また精神的な混乱が始まったとき
私は問いました。なぜ、私なのですか?と。
そしてどうして普通に生きられないのですか?と。
みなは普通にやっているじゃないですか、
普通に恋愛をして、普通に結婚をして。
見えないし、聞こえないじゃないですか、って。
私はもう今望んでいることは、本当にごく普通の生活です。
どうか神様、普通でいいんです、って。

もし見えなければ、気がつかなければ、
私はあのまま、研究を続け、血を吐いていても
きっといまよりましではなかったですか?
誰も傷つけなかったのではないですか?と、問いました。
仲間を傷つけ、愛する人と別離したときにです。

私が私でいるために、私がここへ来るために、
今ここにいたるために、たくさんのことを乗り越えなければ
経験としていったのでしょう。それがどんなに過酷なものであっても。
どのような困難な状況にあっても、私が私で、
その人がその人である以上、きっといつか、
救いは必ずそこにあるのだと思う日々です。
そこへ至る道がどのようなものであっても、
どうか、みな癒されてほしい、許されてほしい。
許してほしい、自分を、他人を、あらゆる存在を。
そう思わずにはいられません。
光は遠いかなたにあるのではなく、あなた自身が光の存在なのですと
伝えられたら、そう自分も常に感じていられたら。

今もしかしたら、どうしようもない現実と戦ったり
絶望するほどの体験じゃなくても、苦しみのさなかにいる方もいるかもしれません
私もまたいつ絶望の淵に落とされるか分からないし、未来は決して予見できない。
どんなに良いことを言っていても、自分がそのさなかにあるときは
わからないもので、本当に試されているように感じることもあります。

けれど、そのような時でも幸せはいまここなのかもしれないな、と。
どんな状況にあっても、実はそこにあり、
時間を越えて、状況を越えてくるもの。
決して、私を、あなたを「今この状況の被害者」であると
思い続けないこと。
幸せは、選択することができるのだと。私はそう教えられました。
絶望にあったとき。
私が世界を愛の目でみようと思えば、そこは愛に満ち溢れた世界。
私は奪われて、今ここで被害にあっていると思えば
世界は、奪われるものとあたられるものの世界になるのだと。
けれど、認めることは大事だと思います。
状況や、出来事によって生み出される感情。
苦しみ、怒り、苛立ち、悲しみ、寂しさ。
すべてあって、すべていいのだと。
認めて、見つめて、抱きしめて歩く。

どうかあなたの道が光り輝いているものでありますように。
私もあなたも幸せでありますように。
by harmony0526 | 2004-10-04 17:07 | ルーツって?

<< がんばらなきゃ      信じて待つ >>

‘声’をめぐるつれづれなるままのエッセイ(写真は私の愛する伊是名島からの風景)
by harmony0526
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧