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all world harmony


完璧だった

泣きに泣き続け、こんなに泣いてどうなるんだよってぐらい
昨日はなきっぱなしでした。

受け取るメッセージ、メッセージはすべて
今は浄化のときだから、それを喜んで受けなさいというもので
わかっているけれど、苦しいだよ~、っていうのが私の本音です。
次に進む段階がきている。リリースせよ。と。

実は常に瞑想をするときに私自身のなかで
まだこびりついている黒い塊があることを認識していたのですが
なかなかこれにフォーカスすることができないままだったんです。
それが今になって顕在化することに。

私自身もう終わっていただろうと思うことが出てきました。
それは父との関係です。
私は長女で、父には一番期待をかけてもらい、またそれに応えてきました。
学者になろうとする娘は、学歴がない父にとって誇りであったろうし、
周囲にすごいね、娘さんと言われることがなによりもうれしかったようです。
しかし今の私がしようとしていることは、その父の期待を裏切り
大学をあと一年しか残っていないのに辞めることです。
大学院で6年も勉強してきて、後一歩で博士号です。なのに・・・。
私は意識していなくても、とても苦しんでいることをはじめて認識しました。
もう期待に応えられない、ごめんねって。

私と父は、姉妹のなかでおそらく一番遠い関係にあります。
気にしたこともなかったのですが、
他の姉妹ほど父にフレンドリーに接することができません。
遠く実家から離れた地で生活しているときは、よかったのですが
実家で暮らすようになってから、それが顕著に出てくるようになりました。
なんでだろう?私のこの父に対する冷淡さは。

私は今まで何人もの人と付き合ってきましたが、
実家があるこの地で恋人がいることはほとんどありませんでした。
遠距離が多かったのと、本土で暮らしてたので。
今新しく彼ができたことで、彼との付き合いを父があまりよく思ってません。
父の口からはっきり聞いたわけではないのですが、どうやら反対?かな。

それを聞いて出てきた、私の中の思い。
父と母方の祖母との確執によって、
とても傷ついていた子供のころの自分でした。
子供のころ、共働きだった私の両親は、
私を母方の祖母の家に預けていました。
祖母が大好きだった私は、
夜遅く迎えに来る両親と帰りたくなくて、いつも泣いてだだをこねました。
それをかたくなに父は連れて帰る。
そんなことが何回も繰り返され、祖母からは父の悪口を、
父の祖母に対するかたくなな態度を見せられ続け、
祖母と父の険悪な関係は私が中学に入るまで続きました。

大人になった今なら、理解できます。
父は子供のころに決して暖かいとはいえない家庭、子供時代を
送ってきているので、家庭に対する理想、思いがあること。
私をとられそうで、いやだったんでしょう。
母の実家に対しても、父はかたくなでした。
決して仲良くなろうとしない。できないんでしょうね。

しかし、私の子供のころの心は父に対する恐怖心があったのです。
父に受け入れてもらってない。という気持ち。
私は少なからず勉強はできたので、勉強することで父を安心させたかった。
そうやって、大人の階段を上がってきました。

今週のこの不調のさなかに出てきたことは、
父を許せないという思いと、さびしかったという思いでした。
つらかったのです。愛する父と祖母が仲たがいしていることが。
どちらも愛しているのに、私のせいで、仲が悪くなったと、
子供の私は叫んでいました。
父と彼との間に挟まれて、またつらい思いをするのではないかという思い、
そしてどちらも愛しているのに。という思いです
もう愛する人が、愛する人をめぐって諍いをみるのはごめんだという気持ち。

実は少し彼とも意見が違うことがあったりして、普段なら流せるのに
こんなに違いがあるのなら、無理かもしれないと思ったときだったんです。
精神的に不調だったせいもあって、ちょっときつかったんですよね。
そんなとき、父の話を母から聞いて、今は付き合いを認めてもらうのは
難しいかもしれないとのこと。どーんってきましたよ(苦笑)
まあ、娘をもつ父親が手放しで付き合いを認めるわけないでしょうけど。
妹の結婚式当日まで、父は仏頂面してましたからね(苦笑)

彼との付き合いの件で、私自身の父に対する思い、
インナーチャイルドの癒しが必要なのがはっきりと見えてきました。
苦しんでいる私をいくら、今の私が抱きしめても、抱きしめても
泣き止まない。無理かもしれないと思いました。
けれど、出てきたことは。

あのときの父は、あれで精一杯で、完璧だったということです。
愛をどうやってうけとってよいかわからなかった父は、
愛の受け取り方を知らなかった父が、
愛を与えてくれたこと。私を愛してくれたこと。
それは紛れもない事実。
あの時の父は、不器用ながら、父の精一杯を私に注いでくれた。

もういい、許そうと思いました。
泣きながら叫んでいる自分も、父を許せないと思っていた自分も。
今も、父は父なりのやり方で、私を愛してくれています。
それが私の望む愛の形ではないかもしれないけれど。

気がつけば、私も無意識に条件つきの愛を求めていました。
こう、愛してほしい。無条件で、私を認めてほしいと。
いつも愛は条件つきなんかじゃないといいながら、
私の愛は条件つきだったんですね(あーあ)

あるがままを、どんな人も。と思っているのに。
無意識に「こうあるべき形」を望んでしまう。
人間だから、当然なんだけど。
けれど気がつきました。やっぱり、今ここにあるときが
「完璧」なんだって。

泣き続け、泣いて泣いて流した涙の先に光を見た気がします。
苦しんだ自分を抱きしめられた先に、同じように苦しんだ父がいて。
今はまだその最中ですが、いつか手をつなげるように。
こうあるべき形など、愛にはなくて、不完全であるからこそ
みんな愛を求めてる。
そんな愛の形があってもいい、そう思えるようになりました。
お父さん、今度一緒にゆっくりご飯でも食べようね。
まだまだだけど。ゆっくりと手をつなげるように。
by harmony0526 | 2005-01-18 11:53 | 許すということ

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‘声’をめぐるつれづれなるままのエッセイ(写真は私の愛する伊是名島からの風景)
by harmony0526
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