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誰だって癒されたい

人はみな、癒される場所を無意識に求めているのかもしれない。
癒される場所という表現より、自分が安心できる場所、
心がほっとできるところ、許される場所というかんじかな。

「家」ってきっと本来はそうなんだろうと思う。
どこにいても、どんなすてきなところに滞在してても。
自分の「家」ってやっぱり別なのかも。
ふとしたときにでてくる、
「私」というアイデンティティを作ってくれたところ。
帰りたくなるところがあるから、すごした記憶があるだけ
人はどこにいても、生きていけるのかもしれない。
それが、ものすごくつらい場所であっても。
私のルーツはやはり消えていかないから。
もしかしたら、「帰りたい」って思える場所があるだけ
(実際にその場所が物理的にあろうが、なかろうが)
人は幸せなのかもしれないな。

実家を離れて暮らしていたとき、
「ふるさとは遠きにありて思うもの」ってよく言ったものだなあと
思ってました。
離れてみてわかるよさ、ふるさとの場所。
帰ることはないかもしれないとその時は思っていたので、
余計に懐かしく恋しかったのかも知れないな。
(研究を続けていると戻ることは不可能に近かったので)

やっぱり自分のルーツってあるんだなあと、
ずっと実家に住んでるときはわからなかったけれど。
どこにいても、すめば都ではあるんだけれど。
「ふるさと」はやっぱり別だなあと。

より限定していえば、それが「家族」であり、
そして、突き詰めていえば、自分の帰る場所は
きっと「自分の中」なんだと思う。
「家族」に葛藤を抱えていると、人は当たり前だけど
やはり苦しいものです。
生き辛さを感じるのも事実。
私もそうだったし、そんな人をたくさん見ます。
もしかしたら、いないのかもしれない。
葛藤を抱えていない人なんて。

自分自身がものすごい家族との間で葛藤を抱えているのかと
言われれば、どうなのかわからないけれど、
みんな大なり小なり、「家族」という名の小さな社会に
葛藤を抱えているものだと思います。
自分という社会にだって、自分が持っているのにも関わらず
葛藤を抱えるのだから。
血がつながっていても、「私」以外の誰かがいれば、
それは当たり前だけど、違う感じ方、違う生き方、違う考え方の元に。
ぼたんの掛け違いがうまれても、当然のことだから。

癒しを考えたとき、外からそれはもたらされるものではないと
いつも思います。
そして意識していようと、無意識であろうと、
人はやはり等しく「幸せ」を感じて生きて生きたいはず。
日々の生活で追われて、疲れているときほど、
癒されたいと思う。
苦しいときこそ、この苦しみから逃れたいとおもう。
悲しみが深いほど、もうこの悲しみから抜け出せないと思う。
幸せな記憶があればあるほど、つらい現実を目の前にしたとき、
その記憶まるごと消してほしいと思う。

調子がいいときはいいけれど、調子を崩したりすると
やっぱり私は、調子がいいときに戻りたいし、
癒されたい、ほっとしたい、って思います。

なんとか仕事しないといけないと思っていても
心身が不調で、本当につらかった時期、
私はこっそり病院に通ってました。
病院に行く時間すらなくて、行ってる事も内緒でした。
とにかく、この不安が抑えられて、仕事を普通にこなせるように
それだけはやれるようにしてほしいと。
そう思ってた時期もありました。
今考えても、とっても追い込まれてたと思います。
癒しを求めて、病院に通っていたわけじゃないけれど、
究極的には、やっぱりそうだったんだろうと思います。
一時的にはきっと病院に通ったりすることでよくはなっただろうけれど、
私はもうそれではどうしようもない段階まで来ていました。

今いろんなことが目の前をとおりすぎてわかることは、
癒されたいのはみんな同じで、それは自分の中にしかないなと。
外側には、いろんな情報があふれていて、
いろんな人が癒しを提供してくれる。
宗教がそうであるかもしれないし、癒しの場所も、技術もあるでしょう。
ヴォイスヒーリングをしようとしている私がいうのもなんですが、
ヒーラーが癒してくれるのではない気がします。
あくまでも、私が私を癒すんだと。
手がかりや、きっかけは、くれます。
私がヴォイスヒーリングに惹かれるのは、私自身が歌うことが好きだったり
過去生に関係があったり、というのももちろんあるけれど、
「その人自身の声が、その人を癒す」ことができるからです。

どんな葛藤を抱えていても、それが「外側」の世界の
誰かから、それは家族だったり、他人だったりするかもしれないけれど、
それを癒してくれるのは、解決してくれるのは、
「外側」の誰かでもなく、世界でもなく、社会でもない。
私自身だと思います。

カウンセリングを通して思うことは、カウンセラーはあくまで
その人の鑑であるということ。
ヒーラーもきっと同じ。
癒してあげようでは、きっと癒すことは出来ない。
癒しは常に、その人自身の中にあることを理解できるから
癒しを生業に、仕事ができるのだと。

「癒し」を外側に求めても、常に癒される場所は
「自分の中」にあると思うのです。
うまく伝えられないな。

父との葛藤を通じて感じたことは、
父がどうにかしてくれれば、私が癒されるのではなく、
私が私自身の傷をみることで、私が癒されました。
父を許せないと思う感情を認めることで、そして手放すことで
私自身が癒された。
父は今までどおり変わりません。
でも私が変われば、私の見ている風景は変わって見えるので
父との関係も変わってきました。

どこかに心がほっとできる場所がある人は幸せです。
そしてそれが今ないと、たぶんつらい。
子どものころ、それが家族のいる場所じゃなかったときの
葛藤、心の傷はやはり深いものがあることを
私もよく理解しています。
けれど、私は私には帰れる。
物理的にはもうその場所がなくても、家族が変わらなくても、
もうその人がいなくても。
私という場所は、私がいなくならない限り、私にいつも優しい場所で
本来はあるはずです。

どこかに癒されに行かなくても、癒される場所は
いつも私にあることを。
苦しみが先にきて、悲しみや憤りしかでてこない
パンドラの箱を私自身が抱えていても、
出すだけ出したら、箱の底に残るものは
私自身に対する「希望」「信頼」だと思います。

私には何の力もありません。
けれど、「自分」のことを癒せる力は私にはあるかもしれない。
私のことを癒してくれるのは、きっと内なる私の中の私なのだから。
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by harmony0526 | 2005-02-02 18:18 | ヴォイスヒーリング

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‘声’をめぐるつれづれなるままのエッセイ(写真は私の愛する伊是名島からの風景)
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