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真実はいつも内側に

私は本が大好きです。
人と話をするのも、好き。
だからよく人とも会ってたし、話してました。
本屋さんもよくいきます。本も購入しすぎて
いつも置き場に困ってます。

何か迷ったとき、苦しいとき、もちろん
人に話を聞いてもらいたいとき、
アドバイスをもらいたいとき、
人は自分以外の人や物に答えを求めようとするものだと思います。
相談というものは、よく言われていますが
半分は答えがでいていて、あとはそれを確認するような所もある
そして、相談事があるといって、気晴らしだったりね(苦笑)

スピリチュアルな道を知ってから、歩みはじめてから
私には本当に大きな混乱が生じました。
内面の葛藤はものすごいものがありました。
いきなり自分の過去世が見え、またそれによって
封印されていた過去の傷や思いの蓋をあけるということは
ある意味精神的な危機を生み出しました。
今まで科学の世界に身を置き、客観性や再現性を伴うものが
真実であるという原理にもとづく概念の元で生活をしていたからです。
実際、科学とはそのような視点から成り立っています。
輪廻転生なんて言葉は、知っていても知らない世界
あってもいいけれど、見えない世界はタブーだったのです。

ある出会いやある時期に符号してはじまった
私のスピリチュアルな開きは、さまざまな混乱と衝撃をもたらしたため
「今までの私」というものが、一時期ふっとんでしまったのです。
今までの私は、どちらかといえば、あまり感情を表に出さないタイプ。
それに、論理立てて物事を考えるというトレーニングも
徹底的に受けてますから、話をするときもきつい部分が
あったかもしれないですね(今もかな~)
家族にすら、私は泣いたところを見せたことなどありません。
母親は、私の笑っている顔をみることはあっても、
悲しんでる顔や、くるしいということなどみたことがなかったと話してました。

人と付き合う中で、さまざまな状況、いろんな出来事に遭遇するけれど
選んでいるのはすべて私。だから納得いかないことがあったとして、
それにリアクションを起こせないのなら、それはすべて私の選択。
だから何か後で言ったり、もちこんだりはしないと決めてました。
奥底に感情をずっとためるタイプだったんです。
できるだけ人とぶつかることもいやだったし。
人が苦しむのなら、自分が苦しんだ方がずっといいと思ってた。

しかし、私自身が「本当の私」をみつけようと仕出したとたん、
さまざまな感情、思い、記憶がよみがえってきて
今まで築き上げてきた人間関係の結び方ややり方が崩壊してしまったのです。
一定の仲間とだけいるような、そして分かる人たちにだけ
話をするような世界にどっぷりつかってしまった。
感じるままの世界を話したり、感情をぶつけたり、
見えるままを語ったり。
今考えると本当に振り子の針が完全に振れてしまっていたのでしょう。
分からなかったから、知らなかったし、不安だった。
そして、そのとき感じている私こそが、「本当の私」だと思っていた。

話をしたり、一緒にいることで、分かった事、
気がついたこともたくさんありました。
今まで見てきた世界だけが、世界ではないこと。
ちゃんと見えない世界も存在することを、理解できるようにもなりました
だって、それが私のリアリティだからです。
ともに学んだことは財産になっています。
そして今までの私も、私だった。知性の部分で養ってきた感覚、
勉強。すべて私を成す、一部だった。
本当の私など、どこにもない。
生きている今、ここすべてが「本当の私」だったんだ。

自分の内側から本当に理解しえてないことが
あると、どうしてもバランスが崩れてしまいます。
分からないことを分かったふりをしているときは
明らかに自分の答えはそこにはない。
自分にとっての真実は、自分の中にしかないんです。
そしてそれは既成の概念にとらわれていたり、
誰かの答えだったり、世の中の常識だったりしては
それは私にとっての「真実」ではない。

「本当のこと」を知ろうとすること、
私が私であろうとすることを求め始めたら、
ある意味それは孤独以外のなにものでもありません。
私の道は私しか走れないからです。
人それぞれ、担って生まれてきた役目、役割、
今世で果たしたい目的は異なってます。
だから、そういった意味ではすべての人は
「孤独」なのです。

けれど、共にあろうとすることはできるし
「孤独」を知ってるからこそ、
ひとつであることを、決して私たちは一人でないことを知っています。
私はあなたであり、あなたは私でもあることを。
私たちの存在は光であり、愛であることは紛れもない事実で、
その光の強さや輝きや色は異なっていても、光であることには
変わりないという点で、ひとつだから。

真実は、外からたどり着くものじゃない。
自分の内側によって得るものだと思います。
だから、もし自分が納得いかなかったり、わからなかったりしても
いいんです。
それが今現在の、あなたの答えだから、真実だから。
そして、そこからできれば逃げずに、
あなたなりの「真実」を心を開いて見つけられればいいのにと思います。
誰かと話しても、書物をいくら読んでも、
そこにあなた自身が語れる言葉を持たない限り、
それは本当に受け取ったこととはいえないから。

私も「真実」って実は怖くて、いつも本当のことなど知りたいようで
知りたくないなって、意識せずとも思っていると思います。
けれど分かっていることは、私の私にとっての答えは
私自身が本当に納得して、内側から得られるものだと信じています。

見つめることから逃げないように、すべてが私だと受け取れるように。
そう思って、今日も私の人生を歩んで生きます。
今この瞬間にいきたい、愛をもって世界を歩みたい、
愛を共に感じられるように、これが今私が気がついている真実です。
by harmony0526 | 2004-08-27 12:59 | ルーツって?

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‘声’をめぐるつれづれなるままのエッセイ(写真は私の愛する伊是名島からの風景)
by harmony0526
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