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カテゴリ:許すということ( 54 )



なんだかなあ、もう

先程、病院のカンファレンスと病棟回診が終わったので
研究室に戻ってきました。
昨晩からお腹は痛いわ、背中に痛みは走るわで体調は最悪。
昨日の夜はもう、なんだかなあって感じで
気分も落ち着かないまま。
なきながら眠ったのって、もうしばらくないんですけどねえ、
疲れてるのかなあ。ううーん。
朝から、ものすごくはれた目で病院へ。さすがにコンタクトはまずいんで、
めがねでごまかしました。

なんかね、いつもね、赦すことがねって言ってる割に
出来ない自分にも腹がたったり。
それも自分なんじゃない?ってのもよくわかるんですけど、
言ってることとやってることが違ってたら、気分が悪くて。
またあんな態度でやられたらいやだなあとか、
こんど理不尽なことで言いがかりをつけられたら、反撃しそうで、そんな自分もね・・・・・。

極度に気分が落ち込むことって半年に一回ぐらいのペースであるんですけど
今回のはそれに近いかなあ。
一旦それにはいると、臨終間際の猫のように、
誰にも会いたくない、話したくない、食べたくない、って逃亡を図ろうとするんですが
仕事がある以上、そんなこともできず・・・・(当たり前なんですが)
この時期が長く続くと激やせしちゃって(まあすぐ元に戻る)
ダイエットにはいいのかもしれませんが。

大体調子が悪くなるのは、色々なストレスを溜め込んでいるうちに
自分の心の癖とリンクして出てくるときなんだよな。
時々でてくるこの癖。
「どうせ一人でしか生きられないなら、もう誰もそばにて欲しくなどない。
本質を貫くには、私はやっぱり一人なんだ」っていう
おそらく間違っている、私がずっともってきた癖です。
だいぶコントロールできているんだけれど、もういい加減、手放したいです、はい。
だから、必要で差し伸べて欲しいくせに、手を払ってしまう。
距離を取ろうとするんだ。

私が自分を良く知っているくせに、半分自分の声を止めているって言われるのは
おそらくこの心の癖が原因だろう。はっきり見るのがこわいから。
やっぱり、一人なんだっていう。そんなことないのにねえ(苦笑)
人と同じように在れなかったという気持ちを、もういい加減リリースしたい。
だから、どっかで特別であろうとして、そんな自分を嫌悪するんだと思う。
本当に普通でありたい。普通の幸せしか望んでいません、神様。
そもそも普通ってどこにあるわけ~っていう意見も十分理解してますが
みんなそれなりにやってるじゃん。ってね。

いい加減、理解されようとする自分をおいておきたいんだ。
感じ方が違うのは当たり前。それも私。
口をつぐんでいたって、別に生活に変わりはない。
理解者を求めようとしている、そんな自分にほとほと嫌気がさすときがあるんです。
なんてネガティブな文章でしょう(苦笑)
もう私は子供じゃなくて、理解されないって、尊重されないって
泣いていた子供の頃とは訳が違う。
いくらインディゴであっても、もういいんだよね。
私が私を尊重すればいいこと、愛せばいいこと。
さ、もう立ち上がっていかないとね。
理解してくれる人も、たくさんいるんだよね。わかっているんだ。

なんだかなあ、もう。今日は仕事をとっとと終わらせて飲みにでも行きたいなあ。
って明日も早朝から病院勤務だけどさ(とほほ・・・・)

つらつらと愚痴ばかりですいません。すぐあがってくるんで大丈夫です~。
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by harmony0526 | 2005-06-10 09:58 | 許すということ


光そのもの

なーんか、下の記事暗くてすいません。
時々、これだけは絶対書きたいの!!って記事があったりするんだなあ。
下の記事もそうです。

先日、不登校連絡者会議というものに出席。
いろいろな子供たちの置かれている状況や、現状、対策等を話し合いました。
先輩もいたので、最後はケースに関してアドバイスを頂いたり。

私の扱うケースは、虐待、不適応行動等たくさんありますが、
その中で現場の先生が知りたいのは、
学習障害(LD)の子、ADHDの子、またはそういった発達障害疑いの
子供たちに対する接し方、教室運営です。
中学校のスクールカウンセラーをしている先輩と話しながら判ったことは、
小学校の時点で、そういった発達障害疑いに関する知識がちゃんとあって、
正しいケアがなされていれば、不登校になっているこたちの
ある一定の数は減らせるかも知れないということでした。
中学に入ってから、自閉傾向疑い、アスペルガー症候群(高機能自閉症)と
診断されるケースがものすごく多くて、そういった子供たちが
学校について行けず、不登校になるケースが多いのです。

家庭でも、学校でも、自分の子供たちをどうやって
はぐくんでいくか、これ凄く大きな問題です。
インディゴ、クリスタル、という新たな魂をもつ子供たちが沢山
出現している今だからこそ、とても大切なこと。

どうにかして、こういった子供たちを正確に把握して、
教育という現場から、傷をもったまま、大人にしたくないなあというのが
私の思いです。

って、また話題がこんな話題ですね。

ま、こういった話題は次に書くことにして。

明日からまた、虐待の子供たちに対する処遇を決める大切な一週間になります。
あまり気張らず、やるしかないけれど、苦しいケースを見れば見るほど
困難な状況であればあるほど、思い出すのは、いつもこれ。

私たちは、光そのもので、なにも本当は分離させる物はないんだってこと。

いつか、いま闇にいる気持ちで居る人たちでさえ、
自分が本来もつ光に気がつくことができるように。

私が困難な状況を乗り切れたのは、闇にはいつくばっていたと思っていたときでさえ、
私自身が、祝福の中にあったんだと思えたからです。
まあ、これは後でわかったことだけど。

大丈夫、また明日から、始めていけるように。
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by harmony0526 | 2005-05-29 21:47 | 許すということ


信じるものをみる

下の記事を書いてから、少し違和感が。

うーん、なんか自分の気持ちを正当化しようとしてるなあと。
気持ちの根底にあるのは、「なんでありのままの私」を
認めてくれないの?って言う気持ち。
条件つきじゃないと、だめなの?
できなければ、対価を払えってこと?

実は彼との付き合いについて、両親としっくりしないことがあって。
私たち自身は全然うまくいってるんですけど、
時々親がみせる心無い態度というか、言葉というか、
それに心を痛めてました。
要は、お金かけて育ててきて、自分たちの意見にそぐわないことや
人と付き合うのなら、その対価を返せよ!!って言われてるみたいで
すごーくいやだったんです。

あー、書いててなんか自分がいやだなって思いますよ。
でも自分の気持ちを認めていかないと、誤ったように世界を
状況を捉えてしまう。
状況が、私を作っているみたいに。
そんなことないのにね。

私の見ている世界は、私が作り上げている空間です。
私の廻りに存在するものすべてが、私の影響を受けていて、
そして互いにエネルギーを交換してる。
当たり前のことだけど、私という人物は私しかいないけれど、
「私」を知っている人は無数にいて、その数だけ「私」の像が存在してる。
どれも同じじゃなくて、絶対的な「私」という存在はいないんだ。

だから、きっと私が見ている誰かは、私が作り上げた存在。
私の認識が作り上げている存在だとしたら。
すべての人は、本質において、光そのものであり、愛で、
ほんとうは同じなんだ。
私を困らせたり、とか、傷つけたり、とかしようとしてる人は
私の認識が作ってて、私の進化を助けてくれうる存在として
あるだけなのかもしれない。
現実のレベルで、私の肉体を傷つける人もいました。
けれど・・・・。
本当の意味で私の奥深いところは傷ついてなどいないのだから。
傷つくとしたら、傷ついてない、という風に私が私を殺したとき。
痛い自分が認められないとき、痛いことを認めたとき、
私は傷つくことなどないから。

私の両親が私に提示してくれている「今」は、
私の自立を助ける為に、その行為をしてくれてるのだとしたら。
私の真の意味での統合は、現実のレベルで
経済的な自立と、精神的な自立がなされることからはじまるとしたら。
その手助けなんだ、今この瞬間は。
感謝します。
私は私の望んでいるようにやっぱり進んでいるのかもしれないよね。

私の信じているものが、信じる意識が世界を作ってる。
自分の信念にそぐわない人間は、自分を傷つける存在として
捕らえることをもうやめよう。
苦しいことがわかれば、痛みを知ることができれば
優しさを知ることもできて、愛をしることもできるように。
対極あるようにみえるものは、実はひとつをつくりあげているものなんだって。

目に見えるものだけが私を世界を作っているんじゃなくて、
私の奥底に眠っている無意識が現実の世界を捉えて
作ろうとしていることをしっかり認識して、
私が望む「愛にあふれる世界」を少しづつでも作って行けますように。

進んでる、大丈夫。
今この瞬間に、私に必要なものはすべて私は手にしてるんだ。
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by harmony0526 | 2005-02-23 15:46 | 許すということ


完璧だった

泣きに泣き続け、こんなに泣いてどうなるんだよってぐらい
昨日はなきっぱなしでした。

受け取るメッセージ、メッセージはすべて
今は浄化のときだから、それを喜んで受けなさいというもので
わかっているけれど、苦しいだよ~、っていうのが私の本音です。
次に進む段階がきている。リリースせよ。と。

実は常に瞑想をするときに私自身のなかで
まだこびりついている黒い塊があることを認識していたのですが
なかなかこれにフォーカスすることができないままだったんです。
それが今になって顕在化することに。

私自身もう終わっていただろうと思うことが出てきました。
それは父との関係です。
私は長女で、父には一番期待をかけてもらい、またそれに応えてきました。
学者になろうとする娘は、学歴がない父にとって誇りであったろうし、
周囲にすごいね、娘さんと言われることがなによりもうれしかったようです。
しかし今の私がしようとしていることは、その父の期待を裏切り
大学をあと一年しか残っていないのに辞めることです。
大学院で6年も勉強してきて、後一歩で博士号です。なのに・・・。
私は意識していなくても、とても苦しんでいることをはじめて認識しました。
もう期待に応えられない、ごめんねって。

私と父は、姉妹のなかでおそらく一番遠い関係にあります。
気にしたこともなかったのですが、
他の姉妹ほど父にフレンドリーに接することができません。
遠く実家から離れた地で生活しているときは、よかったのですが
実家で暮らすようになってから、それが顕著に出てくるようになりました。
なんでだろう?私のこの父に対する冷淡さは。

私は今まで何人もの人と付き合ってきましたが、
実家があるこの地で恋人がいることはほとんどありませんでした。
遠距離が多かったのと、本土で暮らしてたので。
今新しく彼ができたことで、彼との付き合いを父があまりよく思ってません。
父の口からはっきり聞いたわけではないのですが、どうやら反対?かな。

それを聞いて出てきた、私の中の思い。
父と母方の祖母との確執によって、
とても傷ついていた子供のころの自分でした。
子供のころ、共働きだった私の両親は、
私を母方の祖母の家に預けていました。
祖母が大好きだった私は、
夜遅く迎えに来る両親と帰りたくなくて、いつも泣いてだだをこねました。
それをかたくなに父は連れて帰る。
そんなことが何回も繰り返され、祖母からは父の悪口を、
父の祖母に対するかたくなな態度を見せられ続け、
祖母と父の険悪な関係は私が中学に入るまで続きました。

大人になった今なら、理解できます。
父は子供のころに決して暖かいとはいえない家庭、子供時代を
送ってきているので、家庭に対する理想、思いがあること。
私をとられそうで、いやだったんでしょう。
母の実家に対しても、父はかたくなでした。
決して仲良くなろうとしない。できないんでしょうね。

しかし、私の子供のころの心は父に対する恐怖心があったのです。
父に受け入れてもらってない。という気持ち。
私は少なからず勉強はできたので、勉強することで父を安心させたかった。
そうやって、大人の階段を上がってきました。

今週のこの不調のさなかに出てきたことは、
父を許せないという思いと、さびしかったという思いでした。
つらかったのです。愛する父と祖母が仲たがいしていることが。
どちらも愛しているのに、私のせいで、仲が悪くなったと、
子供の私は叫んでいました。
父と彼との間に挟まれて、またつらい思いをするのではないかという思い、
そしてどちらも愛しているのに。という思いです
もう愛する人が、愛する人をめぐって諍いをみるのはごめんだという気持ち。

実は少し彼とも意見が違うことがあったりして、普段なら流せるのに
こんなに違いがあるのなら、無理かもしれないと思ったときだったんです。
精神的に不調だったせいもあって、ちょっときつかったんですよね。
そんなとき、父の話を母から聞いて、今は付き合いを認めてもらうのは
難しいかもしれないとのこと。どーんってきましたよ(苦笑)
まあ、娘をもつ父親が手放しで付き合いを認めるわけないでしょうけど。
妹の結婚式当日まで、父は仏頂面してましたからね(苦笑)

彼との付き合いの件で、私自身の父に対する思い、
インナーチャイルドの癒しが必要なのがはっきりと見えてきました。
苦しんでいる私をいくら、今の私が抱きしめても、抱きしめても
泣き止まない。無理かもしれないと思いました。
けれど、出てきたことは。

あのときの父は、あれで精一杯で、完璧だったということです。
愛をどうやってうけとってよいかわからなかった父は、
愛の受け取り方を知らなかった父が、
愛を与えてくれたこと。私を愛してくれたこと。
それは紛れもない事実。
あの時の父は、不器用ながら、父の精一杯を私に注いでくれた。

もういい、許そうと思いました。
泣きながら叫んでいる自分も、父を許せないと思っていた自分も。
今も、父は父なりのやり方で、私を愛してくれています。
それが私の望む愛の形ではないかもしれないけれど。

気がつけば、私も無意識に条件つきの愛を求めていました。
こう、愛してほしい。無条件で、私を認めてほしいと。
いつも愛は条件つきなんかじゃないといいながら、
私の愛は条件つきだったんですね(あーあ)

あるがままを、どんな人も。と思っているのに。
無意識に「こうあるべき形」を望んでしまう。
人間だから、当然なんだけど。
けれど気がつきました。やっぱり、今ここにあるときが
「完璧」なんだって。

泣き続け、泣いて泣いて流した涙の先に光を見た気がします。
苦しんだ自分を抱きしめられた先に、同じように苦しんだ父がいて。
今はまだその最中ですが、いつか手をつなげるように。
こうあるべき形など、愛にはなくて、不完全であるからこそ
みんな愛を求めてる。
そんな愛の形があってもいい、そう思えるようになりました。
お父さん、今度一緒にゆっくりご飯でも食べようね。
まだまだだけど。ゆっくりと手をつなげるように。
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by harmony0526 | 2005-01-18 11:53 | 許すということ


「ない」ことが持つ痛み

私はもう十分持っているのに、やっぱりそれでも足りないのだ。

そんな自分に出会うとき、とても私は私でいることが苦しい。
私に、あれが「あったら」と思うから。
「ない」自分に愕然とするから。そして悲しくなるから。
「持っている」人や「ある」人を前にすると自分が卑屈になるから。
そんな自分がいやだから。
人はどうして、いつも「持つもの」と「持たざるもの」に
分けたがるのだろうか。
意識しなくても、時々「持ってない」「ない」ことがどうしようもなく
苦しいときがある。

わかりすぎるほど、痛いほど。
なくして始めてわかることや、
実は本当はそこまで問題じゃなかったかもしれないことに
後で気がつくことがあっても。
頭では、「ない」ことに納得していても。
私は十分「持っている」って思っていても。

だって、今の私には「ない」から。その事実は変わらないから。

前置きが長くなりました、すいません。
今日は私の父のことを。
私は世で言う「高学歴」の人間ですが、父は高卒です。
それも普通高校ではなく、農林高校の出身です。
私の父は、会社を経営していて、成功している部類にはいると思います。
会社はこの景気の中でも順調ですしね(今のところ)
父の取引先の人たちは、大手の会社の人たちで、
世でいう「有名大卒(東大とか、早稲田とか、旧帝大系の人たち)」の人が
多いようです。

父は、自分が「ない」からこそ、女の子である私にも
ここまで勉強することを許してくれたのでしょう。
私はこの年まで、ちゃんと「社会に出て」働いたことはありませんし
(契約で研究所づとめはあるけれど)
大学を含めてもう3つ大学院を出ています(やりすぎって声が)
けれど、父は何も言いませんでした。
むしろ、学者になろうとする娘が誇らしかったのでしょう。

父は職業柄、やはり学歴がないことをとても気にしています。
私には、高校生の弟がいるのですが、この弟がですね、
お世辞にもできるとは(勉強がね)言い難い。
私たち姉妹や、母は、正直「大学を行こうが行かまいが」かまいませんが
(だって本人に行く意志や勉強する意志がないならしょうがない)
父は絶対に違います。
やっぱり実体験に基づいて、辛い思いをしているのでしょうね。
ですから、今のところ効果はよくわかりませんが、
弟には家庭教師をつけて、大学にいける位置まで(できれば名のしれたところ)
行って欲しいと思ってます。

私には、父がここまでたたき上げでやってきて、
作り上げてきたことに誇りを覚えるし、
学歴なんてなくても、十分にやれることを示しているじゃないかと
思うことがあります。けれど、きっと違うのでしょうね。
父には父の痛みがあり、その痛みがあるからこそある思いが
存在するのでしょう。

実は、私にも、「あるものがもつ」痛みがあるのです。
例えば、持ってない人は、持つものが痛みがあるといっても
そこを理解しようとすることは難しいみたいです。

だって、「あるんでしょ」だから、「どうのこうのいったって、
ないより、あるほうがましなんだから」

私には、「学歴」はありますが、この年にもなって「職歴」がありません。
就職活動を実は去年行っていた時期がありますが、
全滅でした(とほほ)
専門性が高すぎて、やっぱり企業には敬遠される部分があるんですよ。
ある程度やってみて、難しいと判断を下したのでやめたのですが、
続けていれば、違ったのかもしれません。もしかしたら。

友人も話してましたが、研究者があかん、と思っても
引き返すには厳しすぎて、実際には他の道を選ぶには難しすぎると。
行っても、戻っていっても、きつい。
大体、博士号もっていても、公募がかかって一人の採用枠に
何百人ってくるんですよ。それを採用されるまで何年も繰り返す。
年齢は上がっていくは、実績があってもそれが反映されるとは限らず
私は女性なので、またこれも厳しいんだな~。
私の知り合いに東大の研究室の人がいますが、
ものすごーく優秀です。論文も毎年出てます。
けれど就職できない。枠がないから。
私の前の大学の先生なんか、10年間採用されず、
食いつないでた話をしてました(私には厳しすぎます・・・)
(もちろん、職種を選ばなければそんなことはないでしょう、
でもそれって難しいんだろうな)

今は大学に行っていて普通、という世の風潮があるので
「大卒」という肩書きが「運転免許」のように、
持っていて当たり前のような場合、「持っていない」ものは
すごくしんどいんですよね。
多分、父は持ってないから、そこが何気ない会話、
そして、持っていて当たり前の人たちの中にいて
苦しいんだと思います。
成功していけば、行くほど。あったら、って思う。

父の「ない」痛みを本当に理解することは難しい。
けれど、今父の「ない」痛みに触れることがあります。
それは私の彼を通して。彼も、父と似た痛みを持つから。
私が、それはたいしたこと「ない」と思っても、
本人にとってはきっと感じ方が違うんだ。
だから、今父のことを、私の学歴や期待に対する思いを
理解できるんです。父を始めて。
学ばせてもらってる。やっぱり頭でしか理解できていないことって
あるんだなって。本当に。

「ない」ことがとっても痛いとき。
「ない」自分に腹が立つとき。
私には「学歴」はあるけれど、世にゆう「普通の女性の幸せ」は
まだ「ない」です。けれど、ある予定でしょ?って言われても
「ない」今には、それは無意味。
時々、私を苦しめるのは、「普通にあれない」自分です。
普通に就職して、普通に結婚して、子供を持つ、とか、
普通の容姿をもって、普通にやせていたいとか。

東京にいて研究を続けているとき、苦しかったのは
「ない」自分を見てることでした。
お金がない、能力がない、仕事が満足にできない、
女性でありながら、研究を続ける難しさとか。
社会状況にも正直ストレスでした。
「女性」であることが、どうしてこんなにも不利なの?
(こんな社会で子供なんてとんでもないって思ってたし)

今、思うことは、「ない」ことが私にとって痛かったと
認めることです。今も痛い。
「ないこと」を責められたり、「ない」ことで、資格がなかったり。
不利だったり。
じゃあ、取ればいいじゃない、「あるように」すればいいじゃないって
言葉で片付けられるものほど、簡単じゃないことがある。
「ないこと」が痛かったことを認めること。
「ないこと」で傷つけれているんだってこと。
そして、「ない」自分を傷つけてきたのは、誰かでも、状況でもなく
本当は自分だったってこと。
ない自分を、自分が嫌ってること。恨んでいることを。

状況や、人を、社会を恨むことってあります。
私にもまだ社会に対する恨みが怒りが残っていました。
今もそれをリリースしている最中です。
傷ついたから、身を守ろうとして、かたくなになってたこと。
苦しんでる自分を、見たくなくて封じてたこと。感じないようにしてたこと。
でも、そこの「ない」位置から、「ない」ことを「なかったことに」しようと
しているといつまでも苦しい。

すべては選択ですよね。
恨みや、嫉妬やうらやみからくる位置で選択をしても
自分で自分を認めない限り、多分状況が厳しくなればなるほど
思い通りにいかなければいかないほど、そのせいにしてしまう。
「ない」ことが持つ痛みを十分に理解すると同時に、
私もないことをない自分を責めたり、
社会を責めたりする事をすることがあっても
やっぱり、今あって、ここにいる自分を
「自分で自分を生かす」ようにしていきたい。
「私を最大限に生かせるのは、私だから」

自分を愛すことは、自分の今の立ち位置を、この状況を
少なくとも、否定からではなくて、肯定からはいることだと。
足りないことはたくさんあります。たりなさすぎて、正直不安だらけですよ。
来季から、学生の身分がなくなり、普通に働くことが私には
正直恐怖です。だって、知らない世界だしね。
今この年齢で、ここまでキャリア積み上げて、アルバイトはないだろうって
正直思ったり。後一年で、大学院も実は終了なんですよ。
けれどやめます。

でもいい。私はどこまで行っても私。
この地球上、どこに行っても私は私をやめられないから。
私が私を信じて愛していけば、絶対に道は開けていけると信じるし
開いていきます。
状況が、社会が私を生かすんじゃない。
「私が私を生かしていけますように」
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by harmony0526 | 2005-01-12 13:29 | 許すということ


open my heart

ハートを開いて。

いつも心の扉を開いてあるいていきたいと思いつつ。
先日うけたワークで、リリースについての話になりました。

今まで許しについてさんざんかいて、
許すことでここまでこられたわけだけど。
まだまだ足りないんだなあと実感。
子供のころのこと、今までの自分。
繊細すぎる心をかばおうとして、
たくさん鎧をまとっていたこともすべて明らかになりました。
まだ残ってた。
世界や、状況に対する恨みや、悲惨な体験だと思ってたことに
対する自分に対する怒りが。

今年いっぱいで、そういった自分のハート中にまだある
いてついた部分を溶かしていこうとおもいます。
そうすることで、来年にむけて、今までとはまた違った形での
私の精神性、肉体、新たな波動が生まれてくるようなので。
許しなさい。と、そういわれました。

正直、「えー、まだ許したりないかあ?自分」って思いましたよ(苦笑)
けれど、瞑想を深めていくうち、自分の子供のころを思い出すうちに
でてくる、でてくる(苦笑)
だから、よくないてます。
今大人になってからは、理解できるけれど、子供の私には
納得いかなかったり、わからなかったことのまま。
そんな子供時代の自分を抱きしめながら、
今日々をすごしてます。

すべては自分を受け入れることから。
そのことから、感謝が生まれるし、さまざまなものや
さまざまなことに心を開けます。
そうしていくと、今まで見えなかったものや、感じなかったことが
入ってくるようになる。
すべてのものは、固有の波動を持っていて、いつでも
それに私たちはチャンネルを合わせることができるのだと。
そう、感じています。

神様の声が聞きたいと思えば、聞けるようになるし、
神様は常におそばにいらっしゃいます。
私の内側に。
どこから私が来てようとも、今の私でしっかり人間をしようと思ってます。

けれど、最近よく夢でどこかにいったり、よりリアルな感覚が抜けないんですよ
だから、ちょっとしんどさが体にでてます。
レムリアの時の記憶がよみがえりつつあるのも、その原因でしょうか。
とにかく、open my heart。
恐れずに、私のなかにある愛の泉に、凍てついた悲しみをとかしていけますように。
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by harmony0526 | 2004-12-19 17:41 | 許すということ


優しい歌が歌えるように

休止している間、コメントを下さったり、メールをくださった
皆さん。
本当にありがとうございました。
休止している間、目を通してましたし、とてもお気持ちがうれしかったです。

再開するかどうか、悩みました。
何があったのかをこちらで書くことは、できませんが
口をつぐめばつぐむほど、ご本人様たちに私が何も言わなければ
言わないほど、事態は悪化していきました。

私自身は、いつも物事を善悪で決めることをもうしたくはないですし、
どんなに理不尽であったり、納得いかなかったり、
また私自身がつらい思いをしても、そうさせた状況や、人を責める事は
何も生み出さず、自分が余計に辛くなることを知っています。
そして自分が傷ついたからといって、相手に傷を主張することは
相手を傷つけてしまいます。
そんなことは望んでいない。
だから、約束事を破られても、連絡が一方的にきても
何もいえませんでした。本当は苦しかったんです。
調子を崩してしまい、けれどどんな方にもどんな状況にも
愛を送りたいと願っていました。
このようなことを書くことも実は、その方々を責めている事になるのかも
知れないですね。でも、責めたくて書いているわけではありません。

しかし、一連の出来事で、私は怒っていました。
でも怒れなかったんです。怒りを表明することは
相手を責めることになるから。
私自身が怒りを抑えていることを、私の周囲の方々が怒ってくれて
初めて、私は怒りたかったんだということを認識しました。
この状況が先月から始まったときから一緒にいるパートナーが
また相談させてもらった方々が、私の気持ちをまるで代弁してくれるかのように。
それで私はだいぶ救われました。

感情は実は、怒りも悲しみも、嫉妬も、苦しみも、悲しみも
そして喜びも等しく同じものです。
しかし、私たちは(少なくともまだ私は)、ネガティブな感情はなかったことに
抑えることをしがちです。
今怒っていることを、相手に伝えることが大切なのではなくて、
私は怒っているのだということを認識することが、本当は必要でした。
今湧き出ている感情に理由をつけて、なかったことに、
また抑えようとすることは、私自身の首をしめることになります。
わかっているのに、してしまうんだな。まだ。

正直、私は今回の出来事を知ったとき、
とても悲しく辛かったです。
私がこのブログを通じて言いたいことは、
「自分をどうか愛してください」
「自分を愛するために、赦して下さい」ということです。
これは見てくださる方々にお伝えしたいことでもありますし、
何より私が自分にいつも伝えていることです。
辛い状況や苦しい状況になればなるほど、自分を責めますし
自分を愛して、信じることは難しくなります。
だからこそ、必要なのです。
何度も自分を責めるし、何度も状況を責めます。
だから、何度も自分に話しかけるのです。

私も以前、自分を傷つけるという行為を通じて
大切な人々の愛を確認していた時期がありました。
自分が弱い立場に陥れば陥るほど、誰かはかまってくれます。
しかし、そんなことを繰り返していくと、自分も周囲も疲れ果ててしまいます。
そんな自分がいやで仕方なくて、でも止められなかった。
そして私は大切な人を仲間を失いました。
地の底を這って、ようやく見えてきたものは
彼らが繰り返し話していたのは、やはり光であり、愛でした。
けれど私自身がそれを暗闇に変えていました。
一人になって初めて、私はようやく気がついたのです。

今の私があるのは、さまざまな辛い経験や苦しかったこと
もう二度と誰も愛することなどできないのではないかというぐらいの
絶望の経験があったからです。
だから、すべて受け入れていますし、納得し、
私の予測を超えてたところでおきたことであっても
必要だったのだろうと思えます。
けれど、あのような辛い思いをしなければ、
苦しい体験がなければ、ここまでたどり着けなかったのかと思う事もあります。
できれば、私の愛する方々には、いや、どんな方々にも
そのような体験の果てにたどり着くのではない
やり方で、方法で、見つけてほしいと思うのも事実です。

わかっています、すべて人それぞれ学びがあり、
その中で生じている出来事なのだから。
例え何かを失うことになったとしても。
それすらも、きっともしかしたら望んでいるのかもしれない。
まだ弱い私は、ライオンの母のように
崖からわが子を突き落とすようなことはできません。
けれど、必要なんですよね。

今までの自分を責める必要はありません。
そんなことをしても、何も生み出さないし、
苦しいまま、辛いままです。
自分で自分を嫌うことほど、辛いものはないです。
誰かは、あなたを責めるかもしれない。
誰かは、あなたが望んでいるような愛をくれないかもしれない。
けれど、あなたは、あなた自身に優しい歌を歌ってください。
私はとてもひどいことをして大切な人を傷つけました。
決して、私が私を許すべきではないと本当に思いました。
今この状況でも、相手は私を許してはくれていないでしょう。
けれど、それでもいいのです。

私はもう二度と誰も傷つけたくない。
そうするために、私は私を許しました。
許されるべきは、私であり、私が不完全であることを知りうるから
他人が不完全であることを許せるのです。
愛は私から湧き出るもの。
たとえ、私が愛する人が私の望むような愛をくれなくても
私は愛し続けます。
愛は交換するものじゃないから。
「いつでもあなたの隣に愛がありますように」

えらそうなことを書いていますが、全然まだまだできてません。
私自身も将来の不安を抱えて悩んでいます。
誰かに何かを伝えようとする前に、自分に、そして自分の周りに
いる方々にそれを実行できているだろうか。
きっとそれが一番重要なのでしょうね。
世の流れが変わってきて、今地球も新たな段階に入っています。
神々様も本当に力を尽くして、私たちに教えてくださっています。
けれど、神様方とともにあることよりも、霊的な存在とともにあることよりも
何より肉体をもった自分とその周囲の方々と
共にありたいと思います。
私は「人ともに、生きとしいけるもの」と共にありたいと思います。

長くなってしまってごめんなさい。
誰かに何かを教えよう、伝えようとすることに軸があると
驕ってしまいます。だから、口をつぐんでいました。
けれど、どうしてもこれだけはやはり書きたかった。
このつたないブログを読んでくださっている方に、
その出来事のさなかにいる方々に。
そして私自身に。

「優しい歌を歌えるように。
私自身の中から愛を贈れるように。
私は私を愛しています。受け入れます。」

あなたは、今この肉体を持っているだけで許されている。
だからもう、そんなことをしなくても大丈夫。
どうかご自分を、あなたの大切な方を愛するように愛してくださいますように。
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by harmony0526 | 2004-11-13 22:57 | 許すということ


しばらく考えさせてください

すいません、不測の事態が発生したので
このブログをしばらく止めたいと思います。

おそらく自分のブログを持っている方は
みんな自分のIDでログインしてから閲覧されているとおもうのですが、
私もそうです。
で、非公開コメントになっていることに気がつかず、
非公開コメントにコメントを実名で返してしまったため、
その周囲の方々に迷惑がかかってしまいました。

私がブログを開くことで、書くことで
誰かが傷つき、また自分の命をかけようとする事態に
陥るのであれば、私はブログを書くことを辞めます。
とにかく、最悪の事態は免れたようですが
私自身、ブログを書くことに自信がなくなってしまいました。

ただ、シェアしてくださった方々。
たくさんの愛をくださった方々。
ブログを書くことによって、つながってくださったたくさんの方々に
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます。

私が至らないために、苦しめてしまった方がいる事実を
受け止めなければなりません。
もっと私が自分に厳しくあったら、そしてやはり
私の至らなさがこのような事態を生んだのでしょう。

先月から続くこの一連の流れは、私に書くことがどれだけ
重いことかを、説いているのかもしれませんね。
このブログは閉じる方向で考えてみます。
ごめんなさい。本当に今までありがとうございます。

たくさんの愛をくださって、皆さん本当にありがとうございます。
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by harmony0526 | 2004-11-06 18:55 | 許すということ


私は私を赦したい

様々なケースをみるたびに、思うこと。

どんな問題であれ、根底にあるのは、赦せないという思いなのかもしれない。

困難な状況に置かれていれば置かれるほど、
状況や、環境を赦せなかったり、
それこそ、災害を赦せなかったり、
過去にされた人間関係を赦せなかったり、
親や姉妹、家族を赦せなかったり、

そして、一番は、そんな状態にある
「自分を自分で赦せない」

下の記事の彼も、きっとそうだったんじゃないかな。
苦しみから逃れたくて、逃れられない。
今この状態にある、自分が許せなくて、つらかった。
不適応にある、自分が許せない。
どうしようもない苦しみの沼は、いつも
実は自分が作っていたりするんです。
でも、それは全然悪いことでもなく、判断されるようなことでもない。
わかっていても、沼から抜け出せないことってある。
でも、あるんです、抜け出せることは。
それだけはいえる。絶対にある。

今病院で働いていて、思うことですが、
やはり病気にかかると、とてもつらいですよね。
そしてそういった病気が、一番回復するかしないかによるのは
その病気である「自分を受け入れ、赦すこと」にあるのではないかと
思います。
ただの健康の者が、いう傲慢な意見だという声もあるでしょう。
その気持ちもよくわかります。
色んなプロセスをえて、最後に許すことにたどりつければいいと
いつも願っています。
許せないから、病気なんだっていうつもりは全然ありません。

でも、どうしてこうなったのか?を追求するよりも、
今ここで、私が苦しいのは何故かを考えた方が
ずっとずっと、後に楽になれる気がしています。
私も悲惨な経験や、つらい体験を通じて、
いつもそのような状況になったことを責め、
他人や、状況を、恨んだり、後悔したりしましたが、
その思いを手放し、そして一番は今、苦しんでいる自分を
「赦すこと」が一番必要だったのだと、気がつきました。

日常の人間関係で、困難を極めることがある人に
みられるのは、その状況が、そういったことを生み出しているのではなくて、
自分の中にある「肯定できない思い」が
その状況を生んでいるのです。
色んなケースに接することが多いのですが、
「誰かになろうとしている間」は、
自分はこうあれるだろう、こうあるはずだと行っている間は、
結局のところ、今の自分で自分を受け入れてないことになります。

あるがままの自分や、誰かにたいして憎しみをもっていたり
過去の経験が許せないことなんてたくさんあって、
それをいきなり許せなんていうことは、不可能です。
けれど、そのネガティブな思いを、認められない思いを
見つめることを、していかないかぎり、
そんな自分と付き合っていこうと思わない限りは
何もきっと変わらない。
そうしたとき、「私はいつも、この状況の被害者」です。

こんなことを言う私も、私が許せないことの状況にあります。
今の私で良いのか、何もまだできてないじゃないかとか、
まだまだ、足りないとか。
何か残せているのかとか。
そう思っているうちは、多分まだ謙虚さがたりない。
そうやって、また自分を責めるんですね(苦笑)

裁かないで、裁いても、戻ってこれるように。
私は私を赦します。赦させてください。
赦すことで、きっと楽になれる、安らかな世界が待っていることも
私は知っています。

助けられなかったという思いに、なるたびに、
どうにかできたのではないかという出来事に接するたびに、
私は私を責めます。
人と関わる以上、しょっちゅうです。
けれど、そうあっても、責めるより、感謝の気持ちで。
ごめんなさいも、ふくめながら。

私が私を許せますように。決して、「この世界の被害者」に
なりませんように。
いつも世界は、私に優しいのだから。
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by harmony0526 | 2004-10-26 18:23 | 許すということ


生と死のボーダーライン

今日、朝久しぶりに早めに起きて、妹が学校に行くのを
見送るために、玄関へ。
携帯メールをチェックしている妹が、突然悲鳴を上げました。

知人の息子さんが亡くなったという知らせでした。

私と妹は土曜日に朝帰りをして、偶然家の前で鉢合わせ。
そして、二人で寝る準備をしてるときに、妹の携帯が鳴りました。
一通のメール。
そのメールは、今から会えないかという内容でした。
薬で意識がもうろうとしていて、つらいと。
そのメールの相手は、妹の職場の上司の息子さんでした。
以前、働いていた職場でとてもお世話になっていて、
かわいがってもらった妹は
調子を崩して帰ってきている、その知人の息子さんと
2度ほど会って話をしています。
年齢が近いということもあって、きっと話し相手になってほしいというのが
上司の方の頼みでした。

彼は大学を休学して、実家にもどってきていて、
私も二度ほど会っていますが、調子はあまりよくなさそうでした。
時々、妹はメールが来ることで、返信をしたり、
またある時は、出かけていって話を聞いたりしていました。
私のように、人の話を聞き、関わるという仕事をする覚悟のある人間は
いいのですが、妹はまだ若く、そして今、自分の就職試験の為の
勉強に一生懸命です。
いつも話を聞いてあげたいという気持ちは、あるようでしたが、
できないことや、やれないこと、今の自分の限界を超えるようなことを
しないほうがいいと、私は彼女に話をしていました。
今は、無理だけど、時間をとって、できるときに、でいいから。

夜中4時にきたメールにはすぐ返答できず、
その時間から会いに行くことは不可能でした。
お酒も彼女は飲んでいたし。
私は翌日にメールを返した方が良いじゃないかと言いました。
普通は眠っている時間ですから。

翌日昼間に彼女はメールを返していました。
メールの内容は、これでいいのかなと、私に見せて、
今週、来週は忙しいけれど、再来週なら時間がとれそうだから
その時に話をしようと言う内容でした。
とりあえず、こんなメールがきたことを、親である上司の方に
伝えることをしたほうがいいと、アドバイスしたのが昨日の話です。
その上司の方も、日曜日まで旅行で、留守にされていたようです。

妹は、自分が話を聞かなかったから、会いにいかなかったから、
こんなことになったんだと、自分を責め、泣いています。
少し落ち着かせて、横にならせて、そのうちに泣きながら眠りにつきました。
時々目を覚まして、しゃくりあげては、また眠ることを繰り返しています。

私も人の死にもう何度もあい、そして自殺された人もいます。
どんな死に目であれ、やはり何かできたのではないかという思い、
もっと関われたのではないかという思い、様々な思いが心を巡ります。
自殺されたときは、本当に心が痛く、苦しいものです。
妹の苦しみ、悲しみ、そしてご家族の心痛をおもうと
涙が出てきます。

私も何度か自殺未遂を起こしたことが過去にあるのでわかるのですが、
おそらく、自殺された方でも、本当に死にたくて死ぬ人は、
多分いないとおもいます。
きっと死を選ぶ直前まで、生きることを望み、
生きるか死ぬかを、悩み苦しむのでしょう。
そして、帰ってこれる人もいれば、そのラインを超えてしまう人もいる。
死にたくて死ぬ人など、きっとどこにもいない。
それでも超えてしまうラインがあるのだと、そう思います。

悲しいかな、人間は、肉体が随意運動をできうる限り
自分で死を選ぶこともできる生き物です。
人の天命は、きっと「自分の生を全うすること」でしょう。
生きたくても生きられない人が大勢いるなかで、
そして生きたくて生きたくても、自分を生かせられず
生と死のラインを超えていく人たちもいる。
その現実を見たとき、私は足がすくみますし、どうしようもない
悲しみを覚えることもたびたびです。

肉体を離れても、決してそれで終わりでないことを知っていても
悲しみをとめることはできません。
妹の悲しみや、苦しみは、当たり前ですし、
彼女が自分を責める気持ちもよくわかります。
なんていって、上司であるかたにあやまったらいいのか判らないと
泣いている、妹にかける言葉を私は飲み込みながら、
そばにいることしかできません。

どうか、彼の魂が安らかな所へ行けることを祈ります。
超えてしまった方々の痛み、そしてそのライン上にいる方を
私はどうにか、超えないように、せめて、自分で自分を殺さないように
心を尽くしてやっていきたいとおもいます。
そして、もしそのライン上にいる方が、いるのなら、
どうか、お願いです。
その超える日を、少しでものばしてほしい。
あなたはまだ、やることがあるし、やれることがあります。
苦しみを誰も理解してくれないなら、話してください。
あなたは決していなくなっていい人間ではない。
そこにいてくれるだけで、価値があるのですから。

簡単に超えないで。そのラインを。どうか。
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by harmony0526 | 2004-10-25 13:15 | 許すということ

    

‘声’をめぐるつれづれなるままのエッセイ(写真は私の愛する伊是名島からの風景)
by harmony0526
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