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カテゴリ:聴くこと( 26 )



わかりあいたいという希望

午前中は小学校、午後は大学で仕事しています。
ふえ~。まだ慣れないなあ。
卒論生の指導もそうですが、私自身の研究も進めないといけない上に
夏の大学院入試にむけて今勉強しながら、資料集めています。

視覚障害、聴覚障害のカウンセリング、心理臨床に関心があるので
その関連の大学院を探しているのですが、日本では出てこないですね~。
専門教育はなされてないのが現状なのかも知れない。
元々視覚研究が専門だったんで、そういった基礎研究の人たちが
関わっている研究分野もあるんですが、学問的に体系化されたものはないようです。

先程、文献をチェックしていたら、聴覚障害をもつ親子から、
親子喧嘩を通訳してほしいという手話通訳士の人の話を読んだ。
プライベートを通訳しないといけない現状はどれほどつらいことだろう。
それでも、そこにはわかりあいたいという希望、
「話せば分かり合えるんだ」という希望がある、と書いてあった。
聞こえない親と、聞こえる子供。聞こえない子供と、聞こえる親。
どれだけの困難さが現実には存在するのだろうか。

聴覚障害や、視覚障害の人たちが、苦しい胸のうちを打ち明けたいと
思うとき、一対一の関係ではなく、三者関係であることが、
とても気になります。
プライベートなことを、誰かを介してしか話せないとき、
私にはとてもつらいことだと感じるだろうから。
やっぱり、「直接」語りたいと思うだろう。

障害を持つとき、そして、自分を理解してもらいたいとき、
わかってもらえないんだということは、本当につらいことです。
苦しいから人は病むんじゃない、苦しいのを理解されないとき、人は病むんだ。

見た目上障害があるように見えない人も、困難さを抱えていたり、
(例えば高次脳機能障害とかね)
生き辛さを感じているとき、それを誰かシェアしてくれて、
現実に生きる部分で手助けしてくれたら。そのヘルプが、明日へとつながる
希望になればいい。
胸に希望をともすことができれば、それは困難さすら、支えてくれるものだから。

普通の人間関係でも、困難さを感じることなんてたくさんあって。
けれども、いつも分かち合いたいっていう希望が消えないように。
多分、私の根底を支えているのはこれなんだろう。

やってる人が少ないなら、私が道になればいいだけのこと。
はじめるしかないかな。

「人は幸せになるために、ともだちになるんだ」って小学校の歌でありました。
障害すら、越えたところでともだちになれますように。
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by harmony0526 | 2005-04-13 16:55 | 聴くこと


丁寧に

コメント・メールを下さっている皆さん
お返事が遅れてます。
すいません。

最近忙しくて、ちょっと疲れているようで。
慣れればどうってことないんでしょうが、多分緊張している部分も
あるんでしょう、こう湧き出てくる物がないというか、なんというか(苦笑)

今日一日ゆっくりしたので、明日にはお返事させていただきます。
あれもこれも、っていう結構タイトなスケジュールなんで
自分で自分の首をしめないように・・・って思ってるんですが。
以外に疲れているみたいです、キャパの狭い私(とほほ)

丁寧にやれないときには、必ずあとであ~ってなってしまうことが多いので。
皆さんの気持ちにも、ちゃんと丁寧に応えられるような、自分でありたいと思います。

良い週末を。私を含めて充電して、また来週から楽しんでいきましょう。
楽しめないよ、苦しいよ、なんていわないで。
一つはね、必ず種はあるもの。
だって、私たちはこの美しい地球で、そして決して一人ではないんだから。
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by harmony0526 | 2005-04-10 00:14 | 聴くこと


egocentricな・・・・

egocentric(自己中心)っていうのは、自分勝手をさすんじゃなくて、
自分を中心におくってことだよな・・・・。

自分を中心におくってどんなことなんだろうって
考えてて、ふと思い出したこと。
エゴセントリックってね・・・・って思ってたら、
私の研究テーマは、「egocentric frame」だったんですよねえ~。
方向の研究だったんですけど。あれ?なんか前から出会ってたんだ、これ。
気がつかなかったけれど。偶然なような、キーワードとしてあってたような。

自分を中心におくってことは、他人や環境を犠牲にしたり
自分勝手に振舞うことじゃなくて、自分を信頼することなんだろうな。
それが、自分を中心におくことになるような気がする。
自分を信頼することは、別に他人や環境を「別のもの」っておかなくなるような。
うまくいえないけれど、もし自分をちゃんと愛して、信頼できれば
自分を脅かすものなんかないから、きっと人も環境も大事にできる気がする。

時々ずれたり、はずれたり、センタリングできなくても。
奥底で自分を信頼できたら、また戻ってこれるかな。
いや、思い出すだけでいいのかもしれないね。
本当はみんな、自分を信頼できることを。

なんか意味不明でごめんなさい。
本当の意味で、エゴセントリックな私でありたいなと思います。
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by harmony0526 | 2005-04-05 18:39 | 聴くこと


意見を言うことと人を打ち負かすこと

なんだかなあ、このやり方って思うことがあったので書きます。

私がよく見に行くブログであるやり取りがありました。
記事について、コメントできるのがブログの機能で
さまざまな意見を聞けることが、最大のメリットだと思うんだけど。
取り上げられた記事の内容が、論議を生む記事だったため、
たくさんのコメントがついてました。
私は単純に、こうやって問題を提起できる記事をかけるだけすごいなあって
いつも思いながら見てるわけですが。
反対意見、記事の不備なところ、言葉の使い方、
果ては管理している人の人格を攻撃する言葉までみたときは
なんだかなあ・・・・・、殺伐としてるよ、こんな書き方って思いましたね。

意見が違う時、その意見を言う時、みなさんどうしてますか?

多分私を知っている研究仲間は、私を表現する時
「きつくて、意見をはっきり言う、絶対に引かない人」って言うと思うなあ(苦笑)
私の言葉は(性格は)きつかったですね、本当にこれまで(今もそんな部分はある)
研究の世界は論理を組み立てて、議論をすることで発展させていくため、
結構言葉をきつく使ってしまう部分があるんですよ。
論理展開が曖昧だと確実につっこまれるので、そこは鍛えられたかも。
わかりやすく、曖昧さをできるだけ排除して。
(しかし、曖昧さに満ちたこのブログ・・・・、ほっといて(苦笑)

以前仲間と彼をいっぺんに失ってしまったとき、
私のやったこと、言ったことを私は彼や仲間に責められたんですよ。
自分が悪いことを重々承知してたので、違うと思うことや
そんなことは言ってないということについて一切反論しなかったのですが
その事は、更に「ふてぶてしく、なんでも自分が悪いという風に開き直っている」と
判断され、後に人づてに聞いた時は、本当にショックでした。
彼も、仲間と話し合って、私への態度を決めたのでしょう。
私たちは二人で話し合うこともできず、一方的に別れを告げられました。

この出来事は、教えてくれました。
「いくら正しいということでも、多数であることを前面に意見をいうことは、
また自分が傷ついていることを主張することは、人を傷つける」ことを。

私はそれまで、そんなことを平気でしていたんだろう。

自分の正しさを主張するために、納得してもらうために
私は人の間違いを指摘し、そしてそれが間違っていたと相手が認めるまで
議論を、主張をやめなかったんだじゃないかな。

言葉は力を持っていて、私が伝えたいことは何だろうって考えることが
多くなりました。
優しい言葉を使う時は、人に優しい気持ちを送ることになり、
けれどもちろんそこに、気持ちが入ってなければ、
「心」を言葉に乗せることはできない。
優しい言葉づかいをしたって、そこに「優しい気持ち」がなければ
言葉は空虚なものになってしまう。

言葉が心を伝えるんじゃない、心が言葉に乗っていくんだ。
そう考えれば、言葉づかいが多少荒くても、乗ってきた心を感じたりすることはできる。
言葉の揚げ足をとることも少なくなるんだ。

意見が違ったり、間違ったりするのは当たり前で、
その間違いを認められたり、認められなかったりする。
認められない時、受け入れられない時、私がしたいことはなんだろうか。
もちろん、認められない、受け入れられないことは、悲しいし、つらいです。
だとすれば・・・・・。相手だって同じなんじゃないだろうか。
私は、私の感じている気持ちを、相手に「同じように」感じて欲しいわけじゃない。

「傷つけられたからといって、相手を傷つければ、同じ事なんだ」

上のブログを見てて思ったことは、同じような意見を別の表現を用いて
厳しい言葉で糾弾することは、もはや、何かを互いに生もうとする空気からは
かけ離れているように思えました。
相手が負けをみとめれば、それでいいのだろうか・・・・・。
今の時代、自分の正しさを主張することが、自分の自己証明になっているような
気がして、やりきれない時があるんですよね。
もちろん、絶対にあってはならないことに対して、主張してはいけないとか
自分を守るために、話してはだめだなんて思ってないです。
時には感情的に話したっていいし、そんなことは誰にだってあること。

建設的な意見の交わし合いって、相手を攻撃することじゃあないでしょう。
今でも、研究の場面や、指導の場面では、どうしてもこことここの論理展開は・・・
って話になりますよ。
けれど前とは違うのは、まず自分の意見ありきってしないこと。

こんな意見もあって、こんなものの見方もあって。
そこからシェアできるものを、私はとりたい。
こんなことを言う私は、彼からしてみれば「甘い」そうです(苦笑)
文化背景が違えば、絶対にそんなことはありえないからね。
って言われます。留学経験から彼はそういってるんだと思うけれど。
相手の意見をきいて、自分を主張するのは、
何も意見がないととられることがあるから、違う時は相手の意見を
遮ってでも、主張しないといけない。
そっか、そうかもね・・・・。

ってことはさ、やっぱり私はそれを彼から「聞いてみないと」わかんなかった。

「自分を聞いて欲しければ、相手を聞くこと」

自分の態度が相手の態度を作る。私たちは鏡なんだから。
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by harmony0526 | 2005-03-28 15:53 | 聴くこと


人を見るように自分をみる

昨日は稽古へ。痛めている足首はだいぶいいのですが、
それとは別に、同じ足の股関節を痛めてしまいました。
股関節痛は癖になってるみたいで、もう少し柔軟性を身に付けないとだめですね。
もっと丁寧に柔軟しないとな・・・・。

大会前なんで、どうしても型を早く覚えたいんです。
だって出るからには、勝ちたいじゃないですか・・・。
あんまり運動神経よくない私にとって、練習すればするほど身につく型は
やりがいがあるってもんです。だから・・・。

昨日稽古終わってから、足がじくじく痛み出すのを感じて、やってもうた・・・って。
しばらくたってから、私の心に浮かんだのは、
「人を見るように自分を見れてない」ってことでした。

今彼は、古傷のひざの状態が悪化して、稽古をだいぶ休んでいます。
本人にとっては、とってもストレスだと思います。体を動かせないわけですから。
ちょっとよくなると、やっぱり蹴りたい、練習したい。
そのたびに、とめてます。
「まだ蹴っちゃだめ、足をあげちゃだめ、悪化させるよ」って。
本人もわかっているから、休んでいるんだろうけれど。
やっぱりやらないと、体って硬くなってくるし、ブランクあるとねえ・・・・
と思うのは、運動している人はみんな思うことで、だから悪化させちゃうんだろうな。

いつも私たちの間で話をすることのひとつに、
「それを私が(俺が)やったら、あなたはどうおもうのか?」っていうことがあります。
例えば、風邪気味なのに会いたいからといって、無理を押して遊びに行く。
どこか怪我をしているのに、運動したいからといって、運動をする。
もし、彼がやったら私は絶対に止めます。彼も同じ。
無理してあって欲しくないし、休んでよくなればまた遊べる。
怪我を治せば、また運動ができる、とそう思える。
けれど、自分のことなら、多少の無理を聞かせてやってしまうんだ。

私はいつも世界と人と、互いに慈しみあいつつ、手をつなぎたいと思っています。
それには、自分と手をつなぐことが前提で、自分を受け入れきれないと
人を世界を受け入れることは無理だと思っています。
これは何も心の世界だけの話じゃなくて、自分の身体を含めた話なんだよね。
愛は時として、あるものをあるがままでなく、「ありたいように」見せてしまう。
でも、愛は多分、「あるがまま」を受け入れることから、「湧き出てくる」のだろう。

自分の心が苦しい時、つらい時、それを癒そうとして、手を尽くします。
けれど、体のことは、限界にくるまで無理して使ってしまうんだ。
ソフトには敏感なのに、ハードウエアは、がたがたになって
動かないってなるまで使ってしまうんですよね。
自分を慈しむことは、「丸ごとの自分」ー心と体を含めたーを
客観的にみて、受け入れることから始まるんだろう。
心が大丈夫っていっても、体が無理だよっていうなら、
体を無視しないで、体を優先させてもいい。
時折コンフリクトを起こす、体と心。
「心ばかり、大切にしないでよ」って言われているようでした。

以前読んだ本に、
「自分を大切してほしいとおもうのなら、人を大切にしよう」って書いてあったけれど

「誰かに丸ごと愛して欲しいと思うなら、私が私をまず丸ごと愛していこう」と思います。

慈しみは、自分の内側からこぼれるもので、それが互いを慈しむ心につながるはず。
それは、きっと私のあるがままの、身体を含めて、認め合うことなんだろう。

はあ、しばらくは本当に無理しないで、やれることをやろう。
休む時は休むことを。その時は、その時に見える風景があるはず。
そのことを知ってるはずなのに、またやっちゃうんだよね(苦笑)
だから、そのたびに、私は選ぶんでしょう。私のあり方を。

ごめんよ~、もっと大事にするからね、私の左足さん。
ということで、しっかり体のメンテもしようとおもいます。
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by harmony0526 | 2005-03-25 11:03 | 聴くこと


どこにでも転がっている

私にとって必要な「意味」は,きっといつでも受け取れるんだ.
世にいう「メッセージ」ってなんだろうねえって
最近考えてました.で,私の結論.
「人はあらゆるところに,意味をみる」

もちろん人によっては明確に聞こえてきたり,見えたりする人もいるし
それを世に伝える役割を持っている人もいると思います.
けれど,人それぞれ,その人に必要なことというのは
ちゃんと受け取っているんだよね.聞こえようと,そうでなかろうと.

人は当たり前だけど,みんな違っていて
受け取るものも,異なってる.
そしてずっと前から受け取っていても,生かせないことって
たくさんあるし,そのときはわからなくても,
後でわかることって沢山ありますよね.

みんないろんなことを,それぞれ形で学んでいて,
進んでいる.これって本当にすごいことだなあと思う.
違う現実をいきているけれど,「共有」できる器を
持っていて,同じように進むこともできる.
毎日の中で,その共通でもあって,異なる器を自分のやりかたで
変化させているんだろう.

その変化は誰一人として同じじゃない.
変化するとき,変わっていこうとするとき,
私たちは,私に必要なことを,もっと知りたいって思う.
だから,聞きたいし,見えたいなってこともある.
けれど,何も聞こえたり,見えたりするだけが「意味をうけとる」じゃなくて,
本を読んだり,ただクルマを走らせている看板に意味をみたり,
偶然におきる出来事につながりをみたり.
無数に転がる現実のかけらを,私たちは
一人一人がつむいでいるんだなあ.

メッセージなんて,意味なんて,どこにでも転がっているんだ.
要はその人の受け止めるタイミングと,そのときの器でしょう.
どんなに必要なことでも,今わかんなかったら,
また後でめぐってきて,わかるまでつながっているんだ.
逃したと思ってもね,また私が必要としているときに
気がついたら目の前に立ってるの.

これってきっとみーんな経験済みですよね.
私も,ああ,これは以前言われたことだったなあとか
感じていたことだなあとか思い出すことなんて,しょっちゅうだし,
振り返ると,違う側面をもって,私の「今」に必要なことを
教えてくれるんだろうな.
たびたび,「あー,これって前も言われてたし,聞いてたってば.
なんでちゃんと聞いてなかったかなあ」
って苦虫つぶすことおおいけど,今だからいいんだよね,きっと.

ただ,ちょっと気をつけたいのは,
必要以上に「偶然」や「日常」に意味をもたせすぎないこと.
そうすると足元が浮いてしまうから.
沢山転がっているかもしれない意味だけど,
それは「無自覚に」受け取ることだって大切だから.
顕在化しない大切なことがなければ,現実を生きることなんて
できないもの.
例えば,音楽を聴くことに,いちいち意味なんてとってられない.
「楽しいから」「聞きたいから」「うれしいから」
なんとなく,そう感じる感覚が大切な気がしてます.

いちいち意味やメッセージのことに捕らわれているときには,
私の身体はおいていかれている.

体を動かすと言うこと,体をもっと大切にしてあげるということ.
私たちが,神性をもってることなど,当たり前のことで
(という時代はもうそこまできていて,正確に言うと,
そんなことはもうみんな気づき始めてる)
私が人に生まれた意味は,「身体と神性」を繋いで,
この現実を生きることだ.

何も聖なる存在だけでいいなら,人である必要などない.
人であるからこそ,「身体」はきっと大事なんだ.
「身体があるからこそ」,私はいつでも「意味を」「メッセージを」
取れるんでしょう.

頭ばかり使っていたり,情報にさらされていると,
人工的なところにばかりいると,自然を欲するのは
私が「身体」を私の「神性」とつなげたいから.
原点に返りたいから.身体をさらしたいから,開きたいから.
元々私たちは音から成っていて,音をめぐりたいから
私は歌うんです.
確信を持って言えるのは,「身体性」を獲得することが
(本当はあるのに,私たちは忘れているだけ)
私の神性とひとつであることを思い出させてくれる.

私は身体と心でひとつなんだ.
私だけの,精妙な音楽はいつでも私に鳴り響いている.
それはただ,心だけでは聞けないもの.

意味なんてどこにでも転がってるんだ.
そしてその本当の意味は,私の身体と心で,きっと聞けるもの.
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by harmony0526 | 2005-03-18 15:15 | 聴くこと


心の力を抜いて何度も選びなおす

ご心配をおかけして、すいません。

昨日は、久しぶりにボディマッサージに行きました。
私自身は人に気功整体をしてあげることは結構多いのに
自分をやってもらうことはないので、
ネットで探してよさそうなところに行ってきました。

よっぽど疲れてるんだあ~って、昨日体を触ってもらって分かりました。
初めて整体を受けた時のように、終わった後、自分の視界が
とってもクリアーになっているのが分かりました。
やってくれた人も、「ものすごく疲れているのね」って(苦笑)

風邪を引いたのは、自分のなかで溜まっていたエネルギーを
放出するためで、ストップって言われているんだなと。
実はずっと彼の会社の不安定さと父親が彼の仕事先のことを
調べて色々言われたことが、ストレスになっていたようです。
板ばさみ・・・になってる感じで、私が思っている上にしんどかったみたい。
彼と月曜日に話をして、私が考えている以上に
相手はなんとも思ってないことも判明。
ずっと言えずに、色々自分のなかで処理しようとしていたことは
自分の処理範囲を超えていたんでしょう。

どうってことないことでも、やっぱりシェアできないときついんだな、と。
親と彼とのことも、私が黙っていることで色々とマイナスエネルギーが
知らないうちに溜まっていて、私を蝕んでいたようです。
別に私たちはロミオとジュリエットでもあるまいし、
私たちの力でどうにでもなるんですよねえ、こんなことは(苦笑)

はー、きつかった。
正直、もうなんか苦しいなあって思ってて、自分のテンションが
ローテンションになっていくのがつらくてねえ。
今はゆっくりだけど上がってきてます。

どうも私は「恋愛」っていうのが弱いんだよなあ。
すぐへこたれるというかなんというか。
これって、ほーんと、現在ってより、
過去生からもってきてる「癖」というか「記憶の傷」っていうか。
恋愛をしたというより、いつも人としての感情を押し殺しながら
神に仕えていた記憶のときのトラウマテッィクな感情が時々
ひょっこり顔を出す。

以前ヴォイスヒーリングに行った時に
「あなたはどうかしらないけれど、私はずっと人の感情というものが
恐ろしかったのだ、ということに気が付いたのよ
ちまたに流布している、愛というものだったり、というのが
本当にわからなかったの」というのを思い出す。
このときに、ああ、私もそうだと感じたんですよ。

私の場合は、人の感情もそうだし、
「愛」というもの、人と人が育む「愛」っていうもの。
普遍的な宇宙的な「愛」というものは、よくわかっているのに、
人間同士が育む、決してプラスだけでない「愛」の形。
いやー、もうこれ話すと長いのでやめておきますが、
大変でしたよ、これに気が付いた時。
いろんな記憶が出てきたけれど、この愛を育むというのは
私の一番のテーマなんだろうな。

でもね、今は選べるでしょう。
私はもう何かを犠牲にして、生きなければならないようなことは
なにもないんだ。
ゆっくりでいい、心の力を抜いて、選んでいこう。
学んでいくんだ。
時々ね、自分のなかのどろどろとした感情や、
人のどうしようもない怒りや、憤りというものが
良く分からなくて怖かったりする。
私はどうも特徴として、地面から浮いているというか
すぐ宇宙とつながちゃう性質が強いので、
現実離れしている部分があるんですよ。
そんな今までの私ももちろん認めながら、

今、私の望みは人ともに、この世界とともにあること。
いやだと思っていた、よくわからなくて怖かった、
嫉妬したり、恨んだり、怒ったり、憤ったりする、
そんな部分も持つ人間というもの。
分からない、じゃなくて、これが「普通」なんだ、って。
どんなありようも、感情もあっていいものなんだって。
人というものは、こうゆうものなんだ。

時々私は「心」に力をいれすぎて、がんばりすぎちゃう。
そして少し糸がきれるとへこたれちゃうんです。
ゆっくり深呼吸して、育む力を身に付けていこう。
しなやかに、選択しながら。

ってなかんじなんので、ゆっくり元気にやっていきまーす。
これからもよろしくね。
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by harmony0526 | 2005-03-16 09:50 | 聴くこと


気持ちを受け止めるということ

金曜日にスクールカウンセラーの面接なので,
子どもの発達問題(ADHD,LD)や,非行,
不登校等に関する資料を読んでます.
ううーん,心の病に関する器質的なものについては,
大体理解できているんですが(元々脳の専門なんで)
じゃあ,具体的にそんな子どもたちをどうヘルプするかは
また問題が違うなあ.と思ってます.
(ここでいう器質的というのは,脳の働きが不具合を起こすことに
不適応行動が生じる事を指します)

基本的にADHD(注意欠陥障害)とか自閉症と診断されている場合
脳が不具合を起こしているので,多動だったり,注意散漫だったりというような
行動が見られるわけです.
だから,環境とか,心理レベルだけで対処しようとしても無理です.
医療関係のヘルプもいります.
背景がそうであっても,どう生活していくかはまた別問題.
ちゃんとそういった事実を認識した上で,どう関わるか,なんだろうな.

しかし,こういった資料をよんでても思うこと.
原因がなんであれ,人はやっぱり
「自分の辛さや,苦しさを人に理解されない」ということは
心を病む原因になるんだろうと思います.
「苦しいこと」「辛いこと」は無数にあるけれど,
誰かがそれを少しでも理解してくれて,共感してくれて,
待っててくれればなんとか乗り越えられる.

私が絶望の淵にいたとき,母は仕事を休んで一ヶ月間
私につきっきりでした.いつ自傷行動に走るか判らない娘を
ほっておくわけに行かないからですが,振り返ると
必ずよくなってくると信じてくれたことは,とても難しいことだっただろう.

悩んでいる人をみて,こっちがその人は必ず
その人なりのプロセスを,しっかり歩むことができる,と信じることは
難しいことです.本当に.
愛する人であっても,そうなのですから.
もっとこうすればよいのに,とか,はやくこうできればいいのに,って
こんな生き方が楽なのに,って決めてしまう.
それは本人のためじゃなくて,見ている私が「楽」だからだ.

結局,人は自分の気持ちや痛みを,自分で引き受け,
慈しむことからしか,苦しみのループを抜け出せはしないと思うけれど,
それでも,理解を示してくれて,待っててくれる人がいれば
孤独な道に照らす明かりになってくれる.
歩き出せる力をくれる.
時には手を取って,隣の道をあるいてくれるでしょう.

気持ちを受け止めることは,自分の気持ちですら難しい.
そして,すべて自分でできるなら,「ヒト」である必要はないでしょう.
自分の気持ちは,自分の物の見方でどうにかなるのであれば
共有なんていらないからです.
よいことだけ共有したいんじゃなくて,
辛い気持ちや苦しい気持ちも共有してほしい.
そして,その共有の先に,自己肯定の道があってもいい.
自己肯定が先にあろうと,共有が先にあろうと,
大切なのは,苦しくても,辛くても,
「楽しい自分にもなれる.私はこのままの私が好き」っていう気持ち.

自己肯定があって,共有がなければしんどいし,
共有があっても,自分で自分を受け止められないと,
共有されている自分にしか「価値」を置けなくなる.
すべての人が,私を肯定してくれるわけでもなく,
気持ちを共有してくれるわけでもない.
そんなとき,私を支えるのは,「私はこれでいいんだ」っていう希望だ.

そして,少なくても,感じてる気持ちにだけは,嘘がないんだから,
そこを否定することないように,どんな人の気持ちも.
それが「共有」するってこと.あっていいってこと.
人の気持ちにすら,善悪をつける癖を私たちは持っているから.

傷ついた人を,子どもを見たとき,私には何が言えるかわかんない.
けれど,体と心で,共感できるように.

「自分で自分を嫌いにならないで」
「あなたはそれだけで,すばらしい」って.

抱きしめてあげられるように.
その先に,自分で道をあるいていけるような
具体的な手助けをできるように.

そして信じてる.どの人も必ず幸せのプロセスを歩めるんだと.
だからいつでも信じて,待つんだ,歩くんだよ.
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by harmony0526 | 2005-03-09 14:53 | 聴くこと


夜回り先生とヒーリング

さっきから,MSNにのっている夜回り先生(水谷修さん)の
記事を読んでいる.
皆さんご存知のように,水谷先生は,
中・高校生の非行防止と更生、薬物汚染の拡大防止のために、
夜の繁華街をパトロールする,「夜回り先生」だ.

彼の日記を読んでいると,本当に心を尽くして
行き場のない子どもたちの為に働いているんだろうと
心を打たれます.
そして夜の闇と自分の心の救われない闇を紛れさせている子どもたちが
どれだけ多いことか.本当に心が痛い.

彼のやっていることは本当にすごいことだと思います.
それによって沢山の子どもたちが救われているんだろう.
野にある,ライトワーカー.
実際にブログでいくらいろんな気づきについて書こうとも
ひとつの実践には足元も及ばない.

気になったこと.
水谷さんは病と戦いながら,日々奮闘されているとのこと.
でも気になった.水谷さんによって,救われている心はたくさんあるし,
今も沢山待っているんだろう.
けれど彼の心は,彼は自分自身のことを好きだろうか.
癒されているだろうか.
ここに正答などなく,批判もするつもりもなく,
善悪をつけるつもりもありません.
もちろん彼のやっている行動は,人のやさしさを
ありようを提示してくれている.

人を癒しながら,救いながら,
自らが追い込まれてないだろうか.
闇に告ぐ闇をみればみるほど,闇に取り込まれてしまう子どもたちを
救おうと思えば思うほど,闇に紛れてないだろうか.
悲惨な出来事に会えば遭うほど,心は痛み,どうしても
今この手をと,差し伸べたくなる.
以前言われた事を思い出した.
「今,お前はどこにたってる?
沼に入ってる人たちを出すのが,お前の仕事だろ?
一緒に沼に入れば,水かさはあがって一緒に溺れてしまう.
丘にあがって,手を差し伸べて引き上げることが一番大切なんだ」

私は無意識のうちに,人からスポンジのようにエネルギーを
受けやすくて,大丈夫,大丈夫って思っていても
気がつくと,あれ?おかしいって思うことがたくさんある.
そんな時は,大抵体の不調やら,身の回りにあることが
突然うまくいかなくなったり,おかしなことに巻き込まれたりする.
そこで,あ,今自分がずれてきたことを確認するんです.

癒す立場だったり,人の話を聞く立場だったり,
なにかを引き受ける役目にあるとき,
もちろん周囲に,人に,心を尽くすことはとっても大切だと思う.
けれどその反面,自分を置いていってしまう,
自分を犠牲にして,誰かを救うことは,これからは
もう違う気がする.
底辺に追いやられた人たちの力になりたいと思う.
ヒーリングなんて言葉をしらない,スピリチュアルなんて言葉から
かけ離れている現実を生き抜かないといけない人たちと
手を繋ぎたいと思う.

だからこそ,私が私を慈しまないといけないんだ.
伝えたいのは,自分を慈しむ心だから.
病気をみるお医者さんには,健康であってほしい.
心をみる人たちには,自分の心を守れる強さを持ってほしい.
私はそんな風に行動できるような,ひとつを大切にしよう.

水谷先生の病の具合が少しでもよくなって,
そしてたくさんの水谷先生のような手を待っている子どもたちのために
なにか行動しよう.
優しい言葉を,手をほしかったあの日の私に
手を差し伸べてくれた,誰かのように,
私もその名もない誰かになりたい.
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by harmony0526 | 2005-03-04 17:27 | 聴くこと


引き寄せるもの

ここのところ実はあんまり調子がよくないんです.
魂の奥深いところが揺れる感じがあるから,
また何かあるのかも.それはそれでよし.なんだけど
からだの不調が続いてまして,
それに連動してか,心もこの沖縄の天気のように
曇り,晴れ,そして雨・雨・雨・・・・そして曇り(とほほ)
頭痛と吐き気があって,正直しんどいっす.

なんだろうな,これって思っていて,夜母と話をしていたら.
母がその前日,夜中に寝ていて頭痛がしたというのです.
プチって音がしたと.すぐ脳血管障害を疑いましたが
手の痺れ等がなかったので後日病院に行かせる事に.
それで一応,頭と首のところを触ってみると.
頭はとりあえずなんともなさそうでしたが,
首がえらい凝っていて,整体をして,気の流れを整えました.
(一応,以前脳神経外科でチェックはうけているんですよ,
でもまた見てもらわないとな)

やってるうちに,ぴんときました.
私のここのところの不調のひとつは,この母の体の不調を
引き受けてた部分があったんだろうな,と.
気功を使って,母を整体しながら,
自分まで整えられるような感覚がありました.
母のこの頭痛の原因は職場環境と人間関係,
あとは弟のことがあると思いますが,
自分の体に敏感になっていることはいいことだなと思いました.

ヴォイスヒーリングの沖縄セミナーを終えてから,
自分自身のエネルギーの流れも精妙さが増してきたことを
より強く感じるようになりました.
またひとつ,またひとつ,と進んでいく中で,新たな気づき
広がりも感じますが,それと同様にもっと自分の状態に
気をくばらないとなあと,昨日母を整体しながら思いました.

私たちは常に周囲のものとエネルギーを交換していて,
発したり,受け取ったりしています.
以前にも書きましたが,他人が発する負のエネルギーには
敏感なんですが,自分の発しているエネルギーには
なかなか気が付かない部分があります.
負のエネルギーを自分が発していると,実はその負のエネルギーを
引き寄せてしまうことがあると思います.
実際には他人が発しているようで,自分が発していることによって
引き寄せたりするんじゃないかな・・・・.

預かり知らないところで巻き込まれたり,納得いかないことがあったり.
例え最初は,自分以外のものによって引き起こされた出来事であっても
いつまでもその負のエネルギーを自分でためていると,
連鎖的にそのエネルギーを受け取って,引き受けてしまうんじゃないかな.
私も正直やってられなーい,しんどーいことや
人間関係で悩んだりします.
現実を生きる上では,その苦しみを抑圧しながら生きていかないといけない
部分もあります.そうでなければ,現実を生きられないから.

でも大切なのは,そういった出来事によってもたらされた感情は
流すことができるってこと.
そしてどのように世界を,出来事を捉えるかは
自分の選択にかかっているだなって思うようになりました.
私は自分の人としての尊厳を奪われたと思った出来事がありますが
その事件を通じて,ずっと加害者を恨みつづけていれば,
私の人生は,私自身の感情によって,壊されてしまうことに
ようやく気がつきました.

憤りも,恨みも,苦しみも,怒りもすべて感じていいものです.
全部が全部,いきなりポジティブに捉えるなんて,私には無理です.
その出来事によって,人によって,環境によって生じる感情を
ありのままに認めず,頭で考えた理由で納得させることは無理でした.
受け止めてから,そして許す.
世界にはどうしてこんなことを平気でできるの?とか
人としてどうなんだとか?思うようなことってたくさんあります.
そんなことに接すれば悩み,怒ります.
けれどその感情にとらわれすぎると,私自身の世界が
そのように変わってしまう.
そして,それを作ってしまうのは自分自身だなあ.

自分がワクワクすること,楽しめることに主眼をおいて,
マイナスを受け取ったら,もう手放そう.
例え,その人が変わらなくても,ひどい出来事はなくならなくても.
今のこの瞬間からの,「私」は私を作っていけるでしょう?

納得いかないことも,人もいるでしょう.
そしてそうやって感じる感情を受け止めて認める.
けれど,最終的にその感情を世界を作るのは,私自身なんだ.
いつまでも環境や人や,世界のせいになんかしないで,
見たいように変えられることを,私はいつでも心に留めておこう.
いつでもこの世界を作っていくのは自分自身なんだ.
愛がほしいと,安らぎがほしいと思うなら,
まずは自分の内側に,そして憎むべき相手にも世界にも
贈れるように.

私の送っているエネルギーが,私に帰ってくるのだから.

追記 でもエネルギーは心と体で全部で作っているので,
やっぱり身体を開くことが大切だ~!!ということで,
原点に返って,緑のあるところ,水のあるところにいって
チャージしてきます.早く週末こないかな・・・・.
で,色々叫んでくるんだ~!!(苦笑)
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by harmony0526 | 2005-03-03 16:39 | 聴くこと

    

‘声’をめぐるつれづれなるままのエッセイ(写真は私の愛する伊是名島からの風景)
by harmony0526
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