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無痛文明の果て

私たちは無意識のうちに、
「痛くない」「苦しくない」「辛くない」「ストレスがない」事が
幸せにつながると思ってる。

そんな自分こそが、「幸せ」の状態なんだって。

先日渡辺さんとこんな話をしました。

痛くないことを苦しくないことが、幸せにつながると
それを求めているのが、今の社会、文明なんだと。
それはね、「無痛文明」って呼ばれているのよ。

痛いのはいやだし、苦しみを乗り越えてきても、
あんな苦しみ、もう味わいたくないと思う。
だから、少し苦しいと、へこたれそうになるし、
またあんな状態になったらどうしようって思う。
ずっと続くわけない事を身をもって体験しても。
逃れたい、私はずっと「痛くない状態」で
やっぱりいたいよ。

でもね、やっぱり知ってるんです。
どこまでいっても、苦しいのはなくならないし、
痛いのもなくならないんです。
苦しみの質や痛みの大きさは変わってきても。
乗り越えても、それを感じないときってあったかな。
そりゃあ、しばらくはそれがないときもあったよ。
けれど、私の中から「苦しみや痛みや辛さ」って
消えたことなんて、生きてて一度もない。

ストレスだって感じてるしね(程度の差はあるけれど)
不安だって、探せばたくさんでてくる。
不安定な自分はやっぱり「生き辛い」って感じるし。

痛くないことを苦しみを解消することを求めて、
人は癒しを求めるのかもしれない。
パーフェクトな自分が先にいるかもしれないから、
「今のこの自分」じゃない自分を、探しに
「本当の自分」に出会いに行きたいのかもしれない。
だから、ヒーリングを求めて、スピリチュアルなワークに行ったり
本を読んだり、憧れたりするんだ。
そこには、私の求めている、「本当の私」がいるかもしれないから。

体が疲れたら、体の疲れを癒しにマッサージに行ったり、
整体に行ったりします。
そしたら癒されるんだなあ、これ。
体がほぐれると、心までほぐれてくるんだよね。
そんな時、心と身体は一つで、それで私なんだって思う。
なのに、よく忘れてしまう。
私の癒しは、「心がオッケーださないと、完成しない」ってね。

頭は、心はいつもいろんなことを話してる。
話してないときなんて、ないと思いませんか?
私は実際に、整体を習ったり、テコンドーを始めたりして
気がついたんですが、日々、一時たりとも
考えてない時間なんてなかったことに気がつきました。
ただの身体の感覚。私の五感。
シンプルな自分の肉体感覚ってしばらく忘れてた。
何も考えずに体を解放することが、私にはありませんでした。

渡辺さんはこうもおっしゃってました。

頭や心が話していることが、私たちは私たちのすべてだと
思ってしまう。
だから、そこからでてくる事に従わないと、いつまでたっても
苦しみや痛みから逃れられないと思ってる。
頭やね、心が話していることは、半分はノイズなのよ。
実は、身体感覚は「痛み」や「苦しみ」から逃れることを
望んではいないの。
「痛み」や「苦しみ」を知りたいと思ってる。
そしてそれを味わって、また次にトライできるようなことを
求めているのよ。

私たちの不幸は、頭と(心と)体の感覚がかけ離れてしまっていることなのかも。
身体を開くことによって、私は心と身体のバランスを取ることが
できると、身をもって今実感しています。
特にヴォイスヒーリングは、内なる声に出会えるというよりも、
新たに発声を通じて、身体感覚を取り戻す、というものに近いかもしれない。
私にとってはテコンドーもそうです。
上手くやれなかったら、それがストレスになったりするけれど、
でも身体の感覚に身を浸せることは、生きていく上で
必要な気がする。

今の社会は、みんな頭で作り出した世界がすべてだって思ってる。
そこにいる私たちの身体感覚は置いていかれている気がしてます。
風の音、草木が奏でる音楽。鳥の声。空の青さ。
それは決して私からかけ離れたところになんてないのに、
自然と共にあって身体で受け止めていた子供の頃の感覚は
大人になるにつれて自我意識の元に薄れてきたんだ。

もういい加減、自分探しなんてやめて、
今の自分を肯定することから始めようよ。
痛くなんてならないよ。苦しみも消えたりしない。
先にある自分がすばらしいんじゃなくて、
今の自分をまず認めることから始めようよ。
どっかに癒しなんてない。
本当の自分は、いつだってすばらしい。
けれど、それは先にあるんじゃなくて、
今この瞬間からあるものだから。

苦しみも本当は味わいたくないかもしれないけれど、
認めることからはじめていけば、少なくとも
長くは続かないんだ。
身体は痛いことも、苦しいことも乗り越えられるだけの力を
持ってる。

それを身をもって体験できたら。

きっとね、「自己肯定感」なんて、頭や心だけで
得られるものではないと思います。
頭や心でいくら、私は私を愛しているなんて言っても
絶対に無理だと思う。
私はそうだった。アファメーションなんて無理にしなくても
身体感覚をもっと取り戻せたら、きっと出会える気がする。

結論
「身体の感覚を開いていけば、きっと探している
本当の私だったり、癒しだったりにであえるかも(苦笑)
遠くにいかなくても。だって、私はここにいつもいるんだから。」

痛いのも苦しいのもなくなりません。
痛かったら、辛かったら、苦しかったら、
逃れたいなと思う心も認めて、
風に向かって立てばいいんじゃないかな・・・。
少なくても、痛みが大きくなって私にむかってくることはなくなるもの。
逃げれば逃げるほど、苦しみをなかったことに、なくなることに
目をむけるから、余計にそのループをめぐる気がする。
(多分ね・・・・、でものた打ち回るんだけどさ。)

心の扉を怖れずに開いておけば、
私はきっとどこまでも私でいられるんだ、という確信が
芽生えてきたのはつい最近。
今、私は私を肯定している、から。
それは身体と心でセットで得られるから。

考えすぎている頭や心で話している言葉だけがすべてじゃない。
私は私の身体を含めて、私を信頼したい。
by harmony0526 | 2005-02-15 11:38 | 相談事と書いて気晴らし

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‘声’をめぐるつれづれなるままのエッセイ(写真は私の愛する伊是名島からの風景)
by harmony0526
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