私が生涯をかけて知りたいのは
大げさでもなんでもなく、
「愛するということ、愛とは何か?」です。
許しについて、カテゴリを作ってみたので、
私がしょっちゅう言っている許しって?って
反論、意見、思うことあったら、ぜひコメントください。
ここ二ヵ月半の間に私のものの見方は、ぐっと変化してきました。
これは、精神的に開き始めたときより、ずっと大きい変化です。
人間の本質って?
私は何のために生まれてきたのか?
今世で精算したいこと、統合したいことって?
それの答えを生涯かけて、学んでいきたいと思っています。
ただ、私が判っていることは
人間の本質は愛であり、愛の基本とは許しだということです。
許しは妊娠と似ていて、妊娠にある程度妊娠しているということがないように
許しにも、ある程度許される、許しているということがなく、
あるのは完全な許しだけだ、というのが、
「ゆるすということ」に書かれています。
私たちはこの出来事については、まあ許してもよい、とか許されるだろう、
しかしこのひどい出来事については、絶対にゆるしてはいけない、
許せない、許されない、と思いがちです。
けれど、許すことについて、どの程度まで、どの程度のことなら
ゆるされていいのか、ゆるすべきなのか、許されるのかということは
ないと思います。
具体例については、おいおい書いていきます。
昨日、母と許しについて話になりました。
母は、許さなくても、別に幸せは感じられるし、怒りを持って生きていても
幸せを感じる瞬間なんてあるじゃないか、と言っていました。
そうだと思います。どんな悲しみの底にあろうとも、怒りを持っていようとも
友人と会えば、楽しく話しできることだってあるだろうし、
食事もおいしくとれるだろうし、遊びに行くことも、
恋人と愛を語ることだってできるでしょう。
でも、私が知りたい、得たい幸せは、
「他のことによって提供される幸せ、安らぎ」ではなく、
「自らの内側から提供される、得られる安らぎ」であり、
「愛」なのです。
怒りや、恐怖や不安をもったまま、安らぎは得られるでしょうか?
永遠がみえるような愛を感じられるでしょうか?
愛は安らいだ心でしか、感じられないものであり
内側から湧き出てこないのではないのか?と思っています。
理想論と言われるかもしれませんが、私が知りたいのは
愛することであり、愛の本質、人間の本質なのです。