下の記事、ちょっと暗いですね。
なんか書きながら、確認した部分もあって
微妙に落ち込んでます。
世はお盆だし(この土地は旧暦でお盆をしますが)
親が体調崩したこともあって
少し考えてました。人の死にはこれから、何度も遭遇するわけですが
いつでもどこにいても、あるがままの自分の気持ちで
感情で受け止めていこうと思います。
愛の目で世界を捉えられますように。
さっきまで考えていたことは、痛いと思う気持ちを
失いたくないなということです。
私の場合、痛いと痛烈に感じるのは、自分がミスを犯したときや
人を傷つけたり、巻き込んだりしたときです。
ですから、本当はあまり感じたくない感情です。
それに痛いときというのは、心がじくじく傷をぱっくり開けているから
できれば避けたいですよね。
見たくない出来事だったり、認めたくない出来事に遭遇するときも
やはり痛さを感じます。苦しいというより、痛い。
でも痛いと思うから、つらいと思うから、苦しさを知っているから
私は人にも、自分にも優しくなれるだ。当たり前のことだけど。
自分が痛めつけて初めて、痛める方も痛かったんだということに気がついて
痛めつけられたことにずっと捉われていたら、
自分で自分を囚われの身にすることも知った。
人の死にも鈍感な自分でいたくない。わかりすぎるから、
心をフリーズさせてたけれど、フリーズさせなくても
痛くても、悲しくてもいいんだ。
あるがままの自分の感情で、気持ちで、自分を愛していこう。
世界を、他人を愛していこう。
痛いから、痛すぎる気持ちを知っているから、
私は世界に優しくなれるんだ。優しくありたいんだ。